近世京都の公家文化については、近年・堂上和歌についての研究が大いに進展を見せている。しかし、一方で、公家文化サロンの総合的な研究はいまだ十分な成果が見られない。本研究では、公家社会における様々な芸能享受の場とその特徴を明らかにするべく、これまで殆ど研究に活用されることのなかった公家日記を網羅的に調査し、元和・寛永期から元禄期にいたる江戸前期の公家文化サロンの実態について考察を行った。その結果、公家日記には予想以上に芸能関係の記録が多く見られることが分かった。当時、京都で活動していた様々な芸能者-古浄瑠璃の太夫や町人役者など-が公家邸を訪問して芸を披露した記録、あるいは、公家に仕える小姓たちによって操りや演能が行われた記録、そして公家自身が手遊びにこれらの芸能を演じた記録などで、そこからは、公家社会における多様で豊かな芸能享受の様相が窺われる。そうした様相は、公家衆のみならず、後水尾院や霊元院らの宮廷においても同様であって、その仙洞御所では、院の近臣衆が中心となって、自ら踊りや能がしばしば張行されていた。 その様相については、平成十七年二月刊行の著書『上方能楽史の研究』「公家社会と能楽」「古浄瑠璃史再検」などで論及したが、こうした調査の過程で収集した禁裏・仙洞御所における演能記録についても、同著の資料編「江戸前期の禁裏・仙洞能」に集成した。近世京都の能楽史に大きな位置を占める禁裏・仙洞能の記録については、元禄十六年以降の番組が現存するが、それ以前の記録は従来断片的にしか知られておらず、その意味でも同資料は今後の研究に資するところ大であると考える。
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