19世紀アメリカでは、1817年に初の聾唖学校が設立され、19世紀初めから半ばまではmanualism(手話の教育)が提唱され、後半はoralism(手話を排除し、発話を重んじる教育)に移行する。Silent WorldやDeaf-Mute Journals等の新聞や雑誌の発行、州や国単位での団体組織の結成等、deaf communityができつつあった当時、聾唖者のイメージが増加するアメリカ社会の中の外国人のイメージとして作られ、oralismは国家共同体を維持するためというプロパガンダのもと普及する。一方、当時の小説や大衆紙等に聾唖者表象はあまり見られないことが今回の調査で判明した。例えば、人気女性誌Godey's Lady's Bookの'30〜'70にも、聾唖教育、吃音改善に関するコラムの他は、小説では聾唖の登場人物は3人(1人は偽者)、詩の対象としては1人と少ない。女性の場合、繊細さや純粋さの強調、gentilityやfemininityをなくした状態という両極端の聾唖者表象が多く、男性は社会問題を反映したメッセージ性をもつ表象として使われている。言語障害表象がethnicity表象と重なる例もある。 1830-40年代には、統計学、骨相学等の流行に伴い、多分野の興味が狂気に関する統計に集まり、裁判でも精神異常を主張することが一つのモードとなっていた。国勢調査による統計をもとに、男性は30-40歳、女性は50-60歳に精神障害者が多く、発症は女性の方が早いとされた。奴隷制のない州の黒人は、奴隷州の黒人に比べて精神障害者が多い(Southern Literary Messengerでは約10倍と言われている)との解釈が度々され、移民にも精神障害者が多いとの論文もある。言語障害表象、精神障害表象共に、反奴隷解放運動や移民増加等の社会問題論議に利用されたと考えられる。
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