朝鮮での近代は日本による植民地体制下に成立する。その支配の様相が「われわれ」と違う「他者」によるものであったという「異民族支配」であったため、自らの「民族」を求める動きがおこるのだ。しかし、その「民族」探求の方法は、日本の近代移行期、すなわち明治期の西洋の模倣としての「近代」をモデルとするため、日本近代と朝鮮近代は密接な関係を持つ。具体的には、朝鮮近代文学の成立はひとあし早く近代化した日本近代文学から学ぶことによって成立したといえる。 だから、朝鮮の近代を包括的にとらえるためには、朝鮮の前近代がいかなる様相を示しているか、それが日本の前近代とどのように違うかなどをおさえる必要がある。このような角度で考えるため、食文化という非常に保守的な面から朝鮮の前近代を考察したのが、「朝鮮のなかの麺文化」という論文である。 また、朝鮮の近代が異民族支配という厳しいものであったため、どうしても「われわれ」意識の水面下での形成が促進された。これが近代的な朝鮮ナショナリズムへと流れる直接の原因になると考える。とくに、第二次大戦下の「総動員体制」は、朝鮮をも包み込んだ大きな反西洋的「日本ナショナリズム」であり、この「総動員体制」を経験したということが朝鮮半島の解放後(1945年8月以降)のナショナリズムを考察する上では非常に重要な問題となる。それ故、いままでこのような問題であまり省みられることの少なかった落語という文学ジャンルで「総動員体制」を考察した。これが「総動員体制下の演芸-野村無名庵をつうじて」である。 以上のような視点から、朝鮮のナショナリズムとは何なのか、それは文学とどのようなかかわりを持っているのか、報告書を作成する予定である。
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