昨年度に行った大坂の宮地芝居の分析から、当該研究テーマの解明には、話芸や音曲芸など遊芸文化に関する研究が必要であることが痛感された。それを受けて本年度は、遊芸文化の展開について考察し、その成果を「文化の大衆化」(『日本史講座』)にまとめた。遊芸は興行と並ぶ近世芸能の特徴であるが、近年、興行に関する研究がとみに増えているのに対し、いまだ正当な評価が行われているとはいえない。そこで上記の論文では、まず巨大都市における遊芸の拠点であった寄席の役割を問い直し、寄席は(1)興行体系の末端に位置し、芝居地の櫓芝居と対抗する存在である、(2)同時に市中の遊芸師匠(稽古屋)の稼ぎ場でもある、(3)よって「興行」と「遊芸」との接点に位置する「場」である、との評価を与えた。また阿波・淡路における浄瑠璃文化を具体的な素材として、遊芸文化の地方への浸透の様相を検討した結果、そこでは「追抱」(おいだき)という、その時の芝居座の本体とは別に、さらに特別に芸能者を抱える独特の形式が取られること、その一方でプロ芸能者に転ずる可能性のある「素人」と「子供」が存在することを見出した。「追抱」と「素人」は、ともに浄瑠璃芸能の本質を表しており、また遊芸文化において巨大都市と地域社会とを結ぶキーワードでもある。これらの分析を通じて、寛政・享和期(1789-1804)に文化史上の様々な転機があったことが確認され、すなわち「文化の大衆化」は同時期の歴史過程のダイナミズムの内に見られると指摘した。また本年度は、近世芸能と不可分の関係にあった男色文化について検討を加えた。近世の男色文化は、(1)武家社会、(2)寺院社会、(3)芸能の世界において特徴的に見られるが、とりわけ芸能においては、年少役者の「性」を売買の対象とする「市場」構造が形成されていた。しかも、この「市場」は大坂・京都を頂点として、「芸」の「市場」構造と表裏一体の関係にあった点が特徴である。
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