7世紀は日本律令国家が形成される重要な時期にあたる。近年、7世紀の木簡が相次いで出土しており、『日本書紀』『古事記』などの編纂史料ではわからなかった新たな知見が得られつつある。しかし7世紀木簡に書かれた文字は癖の強いものであり、釈読はたいへん困難を極める。そこで本研究では、全国の7世紀木簡に関する情報を広く収集したうえで、書風を中心に検討をおこなうことにした。本年度は、出土して間もない飛鳥・藤原地域の木簡(石神遺跡、藤原宮・京跡、酒船石遺跡など)を中心に整理をおこなった。 まず石神遺跡出土の木簡については、木簡学会で口頭報告するとともに(2003年12月7日)、下記11に掲げた論文2本を発表し、具注暦木簡について分析した。また、出土木簡のなかに貢進荷札が多かったこともあり、7世紀後半の地方行政の実態が徐々に判明しつつある。 藤原宮・京跡出土の木簡については、「奈良・藤原京跡左京七条一坊」(『木簡研究』25、2003年)「奈良・藤原京跡右京七条一坊」(『木簡研究』25、2003年)で概要を報告し、また下記11の1に掲げた論文1本をまとめた。藤原京跡左京七条一坊出土の木簡は、これまで中務省に関わる木簡群であるといわれてきたが、再検討の結果、衛門府とみるのが正しいことを指摘した。 酒船石遺跡については、「奈良・酒船石遺跡」(『木簡研究』25、2004年)、「酒船石遺跡第19・23次調査出土の木簡」(『明日香村遺跡調査概報平成14年度』2004年、刊行予定)で概要を報告した。天武朝頃の考課に関する新たな知見を得ることができた。
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