本研究の課題は、19世紀初期のアイルランド統治における連合主義であるが、今年度は特に、名誉革命およびジャコバイト戦争でのウィリアム王の勝利を記念して17世紀末以来毎年行われてきた式典に対する連合王国国家の姿勢を分析した。分析のため、夏期にイギリスおよびアイルランド共和国で史料および文献調査を行った。対象とした主な史料は、Home Office Papers(イギリス公文書館)、Peel Papers(英国図書館)、Wellesley Papers(英国図書館)、State of the Country Papers(アイルランド国立公文書館)である。 この式典は政府およびダブリン市が主催し、アイルランド王国の最も重要な公式行事であった。しかしプロテスタント支配体制を決定づけた軍事勝利を記念するものであり、また儀礼の内容もカトリックにとって侮蔑的であった。また強固な反カトリック秘密結社であるオレンジ団が儀礼に積極的に参加したため、連合王国成立以降、政府は儀礼を主催することを止め、さらに1820年代始めには儀礼中止の要求・命令を出すにいたる。この時期に政府が式典に対する従来の姿勢をこのように大きく改めた最大の原因を、今年度の史料調査で追求した。その結果、議会政治の力学を重視すべきとの結論を得た。1820年代前半は、当時のLiverpool内閣にとって議会内外での支持基盤が最も弱い時期であり、特にアイルランドに関する問題は、根本的・短期的な解決が困難な難題であった。この一方で、改革志向が議会内外で全般的に高揚しており、全くの反動的な姿勢を貫くことも不可能であった。そこで1820年代からアイルランド統治に様々な改革が導入されるが、これらは政府批判をかわすと同時に急進的な改革の実現を避けようとして政府が先手を打って導入した限定的な性格のものであった。式典の中止もこの目的で行われている。すなわち、カトリックの法的差別撤廃という国制の根幹に関わる改革の実現の見通しが立たないという制約の下にあって、カトリックに対する「融和」によってアイルランドでの宗派間対立の種を除去することで政府批判をかわしつつ、さらにカトリックの連合王国体制への忠誠を強化しようとする措置であった。以上が今年度得られた知見である。次年度以降は、儀礼中止と同時にオレンジ団とカトリックの秘密結社が解散させられていた点に注目し、連合王国国家が帯びつつあった超宗派的な性格を解明する予定である。
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