昨年度までの研究によって、以下の知見を得た。連合王国では、発足直後の四半世紀間、アイルランド人口の大多数を占めるカトリック信徒に対する法的差別が存在した。このため連合王国は、真に統合された単一国家とはなり得なかった。だが、この差別の問題は、グレートブリテンにおいて国制上の危機をもたらしかねなかったため、解決の目処が立たなかった。このため、カトリックに対して、連合王国政府は、カトリック問題は棚上げにしたまま、一部のプロテスタントが行っていた反カトリック儀礼を禁ずることを通じて、歩み寄る姿勢を見せた。 本年度は、夏期にアイルランド共和国に滞在し、史料および文献調査を行った。対象とした主な史料は、(1)ダブリン市庁関連文書であり、これはアイルランド国立図書館、ダブリン市立図書館、およびアイルランド国教会図書館などに分散保管されている。(2)また、オレンジ団関連の文書をベルファストのオレンジ団本部で閲覧した。 本年度は、強固な反カトリック主義の秘密結社であるオレンジ団に対する政府の姿勢を検討した。オレンジ団は、団員に顕官を含み、また1798年の反乱の際には体制の先兵となるなど、政府からすれば軽視できない勢力であった。しかし、1823年にオレンジ団は政府によって弾圧される。すなわち、カトリック問題で手詰まり状態にあった連合王国政府は、国家と親和的な関係にあったオレンジ団を弾圧してまで、カトリック寄りの姿勢を見せたのである。 なお、オレンジ団弾圧にいたる過程の分析で、以下の知見を得た。弾圧の理由は、カトリック宥和に加えて、オレンジ団員が、政府・議会の命令に服従を拒否したことである。オレンジ団は、秘密結社として団員に守秘の誓いを立てさせ、また団の命令への服従も誓わせていたのである。当時アイルランドには、秘密結社そのものを弾圧する法はなかった。このため、1823年には新法を議会で定めることとなるが、この際には「法によって必要と定められていない全ての宣誓」が禁じられており、このためフリーメーソンも活動を停止する。グレートブリテンには、すでに同種の法が存在していたが、そこではフリーメーソンは適用を除外されていた。 なお、以上の成果は、アイルランドの学術雑誌の投稿してある。
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