研究概要 |
本研究は,イングランド中世初期(アングロ・サクソン期)農村社会の形成と変容を,荘園制の成立を軸に,長期的視点から追究するものである。具体的には,ウスター司教座所領を対象として,7世紀から11世紀にかけての展開の動態的把握を目的とする。これに向けて本年度は,大英図書館で調査したオリジナルを含む権利譲渡文書212通を,記載言語に注目しつつ,作成過程や作成者の意図といった史料論的観点から検討した。 分析の結果,10世紀以降に,古英語記載の広がりという新しい特徴が現れていたことが明らかとなった。ここで検討している文書は,そもそもラテン語で特定の形式に則って作成されるものであり,そのため古英語は,その大半が財産譲渡の正式な表示である措置部以外で用いられている。そこで目立つのは,境界標示,所領内部描写,住民リストといった所領の現場に密着した詳細な情報が,頻繁に古英語で表記されている点である。さらに,措置部の要約,貸与地返還義務の確認,財産侵害者に対する呪詛などにも古英語記載が多いが,これらは土地譲渡の際に行われた儀式での発話の記録と考えられる。したがって古英語での記載は,所領譲渡をめぐって司教座が行った現地調査や儀式でのやりとりを示しており,日常語の持つ機能性と広い適応範囲を生かしながら所領の積極的経営を目指す,司教座の姿勢を表現したものと解釈できる。以上から,司教座による所領経営は,アングロ・サクソン後期に積極化という意味での転換点を迎えたと結論できるのである。 上記の成果は,「アングロ・サクソン期文書における古英語の利用-ウスター司教座関連文書の検討から-」(藤井美男・田北廣道編著『ヨーロッパ中世世界の動態像-史料と理論の対話-森本芳樹先生古希記念論集』九州大学出版会,2004年所収)として発表した。
|