古墳時代前期を中心とした近畿、東日本の鉄鏃、銅鏃の出土地および実測図の集成を行った。その作業の中で、基礎となる型式の抽出作業を行ない、時間的な出土資料の整理を行なうために不可欠な編年作成に向けての準備をすすめた。 その過程で、畿内政権成立に対応する古墳時代前期前半の資料について鉄鏃、銅鏃の実見を進めた。編年等で必要と判断された資料については、京都府椿井大塚山古墳、佐賀県西一本杉009号墳、福岡県津古生掛古墳、石塚山古墳出土資料など、型式の確認とともに、特に側面の観察に重点をおいて再実測を行い、編年の基本となる資料の作成を行なった。 また、武器の集成成果の一部を利用した昨年度の古代武器研究会での口頭発表をもとにして、論文「日韓鉄鏃変遷にみる武器の解釈」を雑誌『古代武器研究Vol.5』にて発表した。主に古墳時代前期から中期にかけての鉄鏃の型式変化を整理し、機能性向上では説明がつかない一連の型式変化について解釈を行なった。相対編年観を整理すると、短頸鏃、長頚鏃などの新型式の出現は対外的な変化に対応しており、それに伴う鉄鏃群の消長と変化は必ずしも機能の向上を志向していない。よって、鉄鏃型式は機能的側面と儀仗的な側面の2面性をもつと考えた。さらに武具(鉄製短甲)についても同様の視点から、軍事的必要性に変化がないにも関わらず後期に出土しない現象について、中期末の段階には少なからず儀仗的な側面が重視されていたこと、総生産量を不可知にする武装の公的管理の概念に対し、武具を制限して攻撃用の武器を規制していないという矛盾を指摘することで、鉄製短甲が中期を通して中下級の兵まで行き渡るような生産量でない可能性を示し、鉄製短甲保有に伴う儀仗的側面の存在を指摘した。 これらにより、古墳に副葬される武器・武具の実用性の評価に視点をおいて当時の武装の実態に迫った。
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