今年度は、夏期(2004年8-9月)および冬期(2004年12月-2005年1月)に、それぞれ1ヶ月間ずつ、エチオピア南西部で現地調査を実施した。 調査は、(エチオピア帝国編入以降の)帝政期、他地域からコーヒー栽培適性地域あるいはその周辺に移住してきた人々を対象として実施した。移住の動機や経緯について聞き取りを行うとともに、現地住民(ホスト・コミュニティー)とどのような関係を築き上げながら新共同体を形成し、その過程で市場・流通体系がどのように変容したのか、などの点に焦点をあてながら調査を実施した。とくにエチオピア南西部は、エチオピア帝国に編入される以前から北部高地民の間で資源の豊かな地域として知られ、とりわけ1950年以降コーヒー輸出が急増すると、ムスリムのオロモが大半を占める社会に、キリスト教徒のアムハラ貴族や、ティグレ・グラゲ・アラブなどの商人がコーヒーへの投資を企図してこの地に移住したことが知られている。今回の調査の結果、コーヒー適性地域に限らず、適性地域以外の周辺地域にもさまざまな換金作物(トウガラシ・ピーナツ・パイナップルなど)の大農園での労働機会を求めて農民も散発的ながら自発的な移住を実施していたことが明らかになった。こうして、コーヒーを始めとする換金作物の導入と栽培面積の拡大に伴い、土地不足と土壌浸食のために周期的な飢饉に悩まされていた北部高地に住む農民も、南西部への移住を開始し、その動きは、1980年代半ば、軍部主導の社会主義政権が数万規模の再定住化計画を実施するに到ってピークを迎える。さらに2003年12月には、現EPRDF政権下でも食糧安全保障政策の一環として大規模な再定住計画が実施されるようになり、再定住が実施される地域においては、市場体系を含む広範な社会変容が進行している最中であることが調査によって明らかになった。
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