(1)鎌倉幕府の裁判手続過程において、和与がどのような手続過程を経ることによって成立したのか、という課題にういて取り組んだ。この課題については、既に平山行三氏による著書『和与の研究』によって、その一端が明らかにされているが、検討対象とされた史料群にも限界があり、十分な検討が果たされていないという恨みがあった。研究代表者は、本課題に取り組みにあたり、まず、鎌倉幕府の裁許状の中でも、和与に関係する史料を総合的に整理した上で、その中に現れる和与の成立手続過程を示す文言に注目し、これを和与の成立手続段階に即して、総合的に整理することを試みた。その成果は、西村安博「鎌倉幕府の裁判における和与の成立手続過程に関する若干の検討」(『同志社法学』第57巻第6号=山中俊夫教授古稀記念、2006年2月)において明らかにした。 (2)04年度においては、鎌倉幕府の裁判における和与・私和与・謀書に関する訴訟当事者の意識および裁判所の判断の仕方について、陽明文庫所蔵の近衛家領丹波國宮田荘をめぐる訴訟関係文書を主な素材として明らかにし、西村安博「鎌倉幕府の裁判における和与と謀書について-近衛家領丹波國宮田荘をめぐる訴訟關係文書を主な素材として-」(『同志社法学』第56巻第6号、大谷實教授古稀記念、2005年3月)を公けにした。05年度においては、(1)において得られた成果とも絡め合わせながら、和与の成立に至る裁判手続過程において、紛争関係人が第三者として、当該和与の成立手続において、どのように関与していたのかを追究した。すなわち、和与の成立手続過程において、仲人」的役割を担っていた紛争関係人の実態の一端を明らかにすることになった。その成果は、西村安博「鎌倉幕府の裁判における和与と仲人について」(『同志社法学』第57巻第7号=安藤仁介教授古稀記念、2006年5月刊行予定)において明らかにした。
|