アメリカ法において、「会社」とは区別されるところの個々の「株主」との関係においても、取締役の信認義務を観念する意義は、取締役の行為により個々の「株主」に生じた損害について「会社」に対する損害賠償をさせることが適切な救済とはならない場合でも、個々の「株主」に対して直接に損害賠償をさせることを可能にすることにあると考えられる。一般の不法行為法による救済(例えば、詐欺)では保護が十分に図れないと考えられる場合であっても、取締役・株主間に信認関係を観念して取締役の側に高度な義務を課すことで、救済の要がある(と判断される)場合の処理を可能にしているのである。例えば、問題となっている損害が、既存株主と新株主、ある種類の株主と他の種類の株主との間で、いずれかが損害を被る一方でいずれかが利益を得るという形で生じている場合や、株主に対する開示に関してあるべき開示がなされなかったことにより生じている場合である。もちろん、信認義務が観念されるとしても常に救済が図られるわけではなく、どのような場合に救済を認めるべきかは各文脈に応じて個別的に議論がなされる。 翻って日本法を見てみると、アメリカ法の信認義務と同じものではないが、取締役の善管注意義務・忠実義務というものがある。しかし、これは取締役が「会社」に対して負うものであるとされている。そのためか、アメリカ法において「株主」に対する信認義務が出てくる文脈では、事後的な責任追及という救済よりも、むしろ一定の行為に一定の手続を要求するという事前規制型の対処がなされていることが多い。しかし、会社法全体の流れとしては事前規制を軽減する方向に進んでいるし、種類株式に見られるような「株主」の利害関係の多様化に対して事前規制は十分に対応できないことが考えられる。そうすると、直接損害に関する取締役の第三者に対する責任という事後的な責任追及を問題とすべきこと今後増えるように思われ、そこでの責任判断の前提となる取締役の義務の根拠・内容についてさらに検討する必要があると考える。
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