本研究は、江戸時代の言語研究と政治思想との関係を、荻生徂徠の助字研究を中心として明らかにすることを目的としており、江戸時代の言語研究と古典注釈を幅広く検討し、言語研究の方法論的革新、それに基づく古典の読み替えを跡づけ、それらのもつ政治思想史的意義を考察する試みの一環として行われるものである。本年度の研究では、江戸時代の助字研究書を広く検討し、その中に徂徠の助字研究を位置づけ、徂徠の言語に対するアプローチの転換を明らかにし、「徂徠学」を分析するための新たな視角の設定を試みた。 江戸時代の助字研究は、中国の研究書を理解するための研究から助字そのものに即した研究へと転換した。伊藤東涯と太宰春台の研究に見られるように、この転換は、字義研究から用法研究への方法的革新を伴う。ここに<言語の学>が成立した。 このような同時代の動向の中で、徂徠も当初は<言語の学>を志向していた。しかし、徂徠は言語に対する分析的アプローチの限界を自覚するに至る。ここで徂徠が採った戦略を、徂徠の漢文直読論と佐藤一斎の訓点とを同質のものとして批判した日尾荊山の議論を手掛かりに考察すると、徂徠は、古文辞の「含蓄」を利用して自在な言語操作を行う戦略を採ったことが分かる。言語認識から言語操作へのコペルニクス的転回がなされ、古文辞学が成立するのである。 「徂徠学」は、古文辞学の方法論を経典解釈に応用するところに成立する。徂徠は、現象を認識の対象として徹底するのではなく、不可知の領域を設定し、それを利用して対象を自在に操作する戦略を確立した。そして徂徠が、十全には理解しがたい六経や論語を自在な言語操作によってどのように読み替えたのか、複雑な「政治」現象を前に目的合理的に対象を操作しようといかにして試みたのかを明らかにすることが、今後の課題となる。
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