1970年代初期は改革開放政策を育んだ時期として位置づけられる。筆者は1970年代の中国を取り巻く国際関係と、中国の国内情勢の両面から改革開放政策を芽生えさせた1970年代の中国について考察を加えた。 1969年から始動した米中接近に際し、中国指導者は当初台湾問題や中国を取り巻く周辺の安全保障問題を米中交渉の最重要項目としてあげており、これらの問題の解決なしには米国との国交や通商関係を結ばない方針を決めていた。しかし、米中接近の過程で、中国は戦略を変更したため、対米通商関係は台湾問題とディリンクした形で発展することが可能となった。 1970年代前半に繰り広げられた中国国内の権力闘争が外交系統における周恩来の権力の弱体化をもたらし、対外関係全般に責任を負うとう小平の台頭につながった。この結果として中国の対外貿易の拡大路線が承認されたのである。言い換えれば、米中接近と中国国内の政治展開がこの時期において偶然にも米中貿易関係拡大を促進する方向に向かっていた。 こうした文脈から考えると、1970年代前半に限定して言えば、米中接近は、米中冷戦の二つの対立軸--限定的イデオロギー的対立(社会制度的対立と情勢判断に関する認識の対立)と台湾問題をめぐる対立(安全保障上の対立)を根本的に解消することはできなかった。米中接近は、台湾問題を含む米中安全保障の対立を潜在化させたに過ぎない。 他方、米中接近と中国国内の政治変動で促進された中国の貿易拡大戦略は結果として米中間に限定的イデオロギー的対立の解消にプラスの作用として働いた。この意味で1970年代前半は米中間のイデオロギー的対立の解消に向かって始動し始めた時期としても捉えられる。
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