研究概要 |
マーシャル以降の産業社会思想の展開にあって,「産業」(industry)・「企業」(business)・「組織」(organization)といった分析概念は,時代の問題を十分に反映していた。また、自由貿易と金本位制による経済の調整システムが行き詰まるなかで、イギリスは第1次世界大戦から第2次大戦までの時期(1914-39)に基幹産業の構造的な弱さを露呈し、慢性的な失業問題に直面した。1920年代は、G.D.H.コールを中心としたトレード・ユニオニストが失業の脅威のない民主的な産業社会を構想する一方で、1930年代の経済政策に携わることになるケインズが独自の産業社会ヴィジョンを形成した時期でもあった。本研究で取り上げたヘンリー・クレイは、協業の欠如を伴う高度に専門化された産業における不安定性の問題に着目した。また、ジェノバ会議に象徴されるように、アメリカの高成長をもたらした科学的管理法のヨーロッパ各国への導入についての是非が産業合理化論と関連付けられた1920年代後半において、金融と産業の結合という観点から企業の能率の問題を提起し、独自の産業合理化論を提示した。とりわけヨリ道徳的かつ厚生的な産業社会の実現という理想を持っていたクレイは、財産の国有化構想、マネージメントの官僚主義化そして経済的ナショナリズムに対する批判を展開する一方で、頑強なレッセ・フェール主義を批判し、国家の産業に対する介入の問題を、経済的な効率性の問題にとどまらず、道徳的な次元にまで掘り下げて丹念に論じた。
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