フランス労働局の活動を第三共和政期の社会改革の潮流の中に位置づける際、重要な鍵の一つとなるのは、1906年7月13日に制定された週休法の問題である。先行研究においては、労働局の活動に対する経営者側の対応を具体的に検証する作業が欠落しており、国家介入をめぐる労働局と産業界の関係が十分に捉えられていなかった。今年度は、フランス鉄鋼協会と労働局の関連を中心に、1906年週休法をめぐる両者の動向を検討した。その目的を遂行するために、当該分野に関する基本文献を購入・閲読し、また、フランスの国立文書館、国立図書館、資料マルチメディア資源センター、パリ・カトリック学院附属図書館、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館などにおいて史料収集活動を実施した。その結果、以下の点が明らかになった。労働局関係者の間では、労働時間短縮や機械化推進による生産性上昇といった経済的近代化の理念が醸成されつつあったものの、産業界では労働時間短縮に対する否定的な見解が根強く存在していた。鉄鋼業界が国際競争力や労働力調達の点から1906年週休法の導入に反対し続けたため、労働局は、週休法の運用において現状維持を選択し、業界の意向を受け入れることになつた。したがって、国家と産業界の関係において、第一次世界大戦以前の労働局の関与は、企業の生産活動に配慮した緩やかな国家介入であったということができる。なお、今年度は、今日のフランスにおける経済史の研究動向を日本に紹介する作業として、アラン・プレッシ(パリ第10大学名誉教授)「フランス経済史の研究動向(19-20世紀)」(『歴史と経済』第186号、2005年1月)の翻訳を矢後和彦氏(東京都立大学教授)とともに行った。
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