研究概要 |
近世日本は強固な身分制社会であったといわれる。しかし,教育による身分移動がまったく不可能だったわけではない。そのもっとも顕著な例は,僧侶教育機関を通じてみられる。近世の僧侶社会は世襲を原理とせず,したがって農家や商家の子弟が僧侶教育機関に学ぶことによって僧侶となった。仏教諸教団が江戸や京都に設置する檀林や学林と呼ばれる僧侶教育機関には,出自をさまざまとする子弟が全国から参集した。庶民子弟にとって,僧侶となることは,自身の能力や努力によって所与身分を抜け出る進路のひとつであった。僧侶としての成功は,社会的威信や学問的評価を得るにとどまらず,少なくないケースで経済的成功をともなった。身分移動の媒介項としての僧侶教育機関への着眼は,本研究の独創的な点である。 本研究では,1.諸教団の僧侶教育機関が開く身分移動のルートを制度史的に整理するとともに,2,そのルートを利用し,実際に僧侶としての身分移動を果たした農民子弟の事例研究を試みた。とくに2における農家出身の修学僧の具体例の提示は,日本教育史研究上,独自の成果である。尾張農村や安芸農村に生まれた農家の次三男が,江戸や京都の僧侶教育機関での約20年にわたる修学を経て,社会的経済的に自立した寺院住職を得るまでの過程を追った。都市での相当程度の修学費用を負担することを教育投資として積極的に考える農家があったこと,村から僧侶として成功する者があらわれると,それを前例に,続こうとする者があらわれること,比較的厚い信仰心が認められる初期の者に比べ,続く者は僧侶となることをひとつの職業選択として考えている側面があり,流動性を増す近世後期の農村の労働移動の問題を考慮にいれた考察が重要であることなどを指摘した。また,2で調査した修学僧書簡(手書き資料)は,これまであまり知られておらず,資料的価値も高い。 研究成果の一部は,教育史学会(2005年10月,東北大学)で「近世浄土真宗修学僧に関する一考察-農民子弟の修学事情-」,日英比較史研究会(2005年11月,関西大学)で「教育史研究資料とその周辺」として発表した。
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