1、昨年度から引き続き、沖縄県内の小学校が刊行した学校記念誌に掲載された回想記録や座談会記録を資料として、近代沖縄における方言札の実態について調査研究を行った。本年度は、沖縄島北部地域の小学校を対象とした。新たに明らかにできた点は以下の通り。 (1)1900年代前半の方言札についての資料が得られた(羽地小、玉井亀次郎の回想)。これは昨年度得られた資料と同時期のものであり、1900年代前半に方言札が登場したことを裏付ける点で貴重である。 (2)教師自身が方言札を用いたことを回想した資料が得られた。1923年から20年間勤務したその教員は「せめて学校だけでも標準語を」という論理を述べている。地域での生活語が沖縄言葉であることを認識して、学校においてそれを排除しようとしたのである。 2、これまでの継続した学校記念誌を資料とする調査により、近代沖縄における方言札について、どの時期にどのように存在していたのかという基礎的事項の解明を行った。明らかにできた点は以下の通り。 (1)方言札は1904年頃に、他府県並みを志向する沖縄県政のもと、標準語教育の徹底を推進すべく、近世琉球のムラ統治の手法を応用し近代沖縄における大和への同化を推進する手段として生まれたものであり、そののち沖縄各地へ普及し1940年代前半までのあらゆる時期に存在していたことが確かめられた。 (2)方言札は児童の相互監視と教師や児童相互による何らかの罰を特徴として、沖縄言葉を話させず標準語を話すことを強いるものであり、児童は方言札を持っていることを何とか免れようとし、また渡されないようにと様々な対応をしたので、結果としていわば弱い者いじめのように方言札を押しつけるような教室環境が作られることになった。
|