研究概要 |
平成16年度においては、平成15年度に収集した資料を整理した。 また、収集した資料のうちいくつかは、フレーベルが提案した「ヘルバ・プラン」の文教施設が、1830年代当時マイニンゲン公国宗務局員であったノンネ(Nonne, Carl Ludwig)の関わった文教政策との類似性を示唆するものであったことが判明した。そこで、本年度は特にこの両者がスイスの著述家・教育実践家であったペスタロッチー(Pestalozzi, Johann Heinrich)の影響を少なからず受けていること、また両者ともルター派の宗教的影響を受けていることに鑑み、考察した。この考察については、19世紀前半のチューリンゲン地方での教育活動の詳細・特質を明らかにする目標を掲げ、日本ペスタロッチー・フレーベル学会第22回大会において「19世紀前半チューリンゲンにおけるふたりの『ペスタロッチー継承者』-F.フレーベルとL.ノンネをてがかりとした『民衆陶冶』の位相-」と題し報告した。フレーベルとノンネそれぞれの活動を検討すると、両者ともに教育の場を教会・学校・大学と設定していた。そして「民衆陶冶」の本質についてもほぼ同様の見解を持ち、「民衆の習俗的革新」換言すれば道徳的涵養であったこと、また両者とも出版物による啓蒙・教育活動を重視していたことが明らかとなった。また、両者の差異としては、フレーベルは数・計量・言語の基礎陶冶の方法に関し、対話を重視する方向へと注視していたのに対し、ノンネはカテキズム的教授法の適用へと視野をむけ、自己陶冶そのものを重視したことが挙げられる。さらに注目すべき点として、フレーベルは寄宿制の私立学校「教育舎」経営に執着していたが、それこそペスタロッチーの《居間の教育》の継承であると思われる。
|