15年度は、研究の理論的ベースとなるマイヤー新制度学派の教育社会学論文の読み込みを行う一方、わが国人権教育30年の諸事実を資料ならびに関係者からの聞き取りで吟味する中で、どの局面に焦点化することが、新制度学派の理論的インパクトを最大限に引き出し、また他方で同理論に対して拡張ないし修正を迫る契機を最も効果的に提供するかを考察した。 その結果、まず新制度学派理論の核心として、(1)教育の拡張=社会の学校化の動態に正面から挑んだ理論である、(2)教育思想、理念(本ケースで言えば、人権思想、ラディカリズム、解放的教育学)によって動態を説明する既存の図式の超克を図ろうとしている、(3)動態の説明の中心に、学校による自己保存機制を位置づけている、の三点を抽出した。 次に、わが国人権教育30年の歴史、とりわけ被差別部落の子どもを対象とした同和教育関連の種々の資料、ならびに関係者からの談話を参照した結果、批判的運動としての同和教育が学校社会への子どもの囲い込み(包摂)としての性格を持った「逆説」の背景に、当時の部落における家庭状況の特殊性、つまり、子どもの教育に濃密な関心を示し子ども中心に回転するいわゆる「近代家族」の未成立という事情があることが明らかになった。よってここから、同和教育と部落家庭との接面(インタフェイス)、たとえば徹底した家庭訪問や「池域進出」の諸相が、「逆説」を浮かび上がらせる絶好の観測点であることが明らかとなった。つまり包摂はまずもって、部落家庭への働きかけを通した「家庭の学校化」現象であった。現在この観点から、大同教ならびに全同教の実践報告を分析、検討中である。また在日韓国・朝鮮人教育実践との比較・対照を、今後予定している。 他方、同和教育の関連資料の検討ならびに関係者からの聞き取りから、上記の「家庭の学校化」の枠組みで捉えられない、逆に「学校の家庭化」とも呼ぶべき側面も明らかになった。同和教育は、部落の家庭が、近代家族としての教育機能を差別に由来する社会経済的困難ゆえに担いきれないことに鑑み、隣保館等での放課後の宿題指導・学力保障の取り組み、長期休暇や休日まで及ぶ子ども会活動などを通して、教育の力で近代家族を代替的に「保障」しようとする性格も備えていた。いわば「学校の家庭化」の側面である。これは、新制度学派の理論ではカバーできない複雑な現象であり、上記「家庭の学校化」とならび、その記述データを今後蓄積することで、人権教育の「逆説」が立体的に浮き彫りになるものと期待される。
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