研究実績の概要 |
本研究は, 2020年度から実施される歴史総合(仮称)という新科目のあり方を探求する試みである。1930年代に国策として遂行された満蒙開拓を事例とした授業を構想した。現地調査や資料調査などを行い, 以下の成果を上げることができた。 一つは, 各都道府県別の満蒙開拓団関係資料を調査・確認することができたことである。これによって, ほぼすべての都道府県において, 満蒙開拓を事例とする歴史学習が可能であることがわかった。 二つ目は, 戦後開拓と茨城県の関係を知ることができた点である。最も多くの満蒙開拓団を送出した長野県について調査する中で, 帰国後の開拓民が全国各地の開拓地に再び入植した事実を知り, 少なからぬ人々が茨城県に入植したことがわかった。彼らは率先して新しい農業方式を導入し戦後の食糧増産に貢献した。 三つ目は, 新たな授業構想を立案する必要が生じたことである。日中関係史の一環として満蒙開拓団史を取り上げる構想を建てたが, 中国東北地方が移民から成り立っているという事実に鑑み, 多民族が共存する社会として授業を構想することも必要であると思われる。 7月には長野県満蒙開拓平和記念館を訪問し, 「東アジアの移住・移動と相互認識をめぐって」シンポジウムに出席し, さまざまな研究視角や現地調査の準備を行うことができた。 8月に中国を訪問し, 現地ガイドの案内で黒竜江省方正県に残る旧日本人開拓団跡地を見学した。わずかに1軒のみ日本人が建設した建物が残っていた。北京では抗日戦争勝利記念軍事パレード予行演習の影響を受けて, 当初計画した中国人民大学訪問は実現しなかった。次年度以降の課題としたい。 11月には日本社会科教育学会全国大会第65回全国研究大会で「満蒙開拓を事例とした歴史学習」と題して研究発表を行った。発表に対して有益な指摘を多く受け, 今後の研究方向を見出すことができた。中国東北地方は移民から成り立っており, 「五族協和」「王道楽土」という旧満州国が掲げた理念は, 多民族社会を反映したものである。日中関係史の一環として満蒙開拓史を取り上げることは, 通史的な観点から有益であると考えるが, 1930年代の東アジアの国際関係をふまえたとき, 東アジアの多様性を十分に踏まえた歴史的考察が必要になると思われる。今後はモンゴル・朝鮮・ロシア等の要素を考慮に入れながら, 多角的な分析を試みたい。
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