研究課題
気候変動に伴って人間社会がどう応答してきたかを考察することは,将来起こりえる気候変動で私達がどのような影響を受けるのか,どのような対策をとればいいかを考える手がかりとなる.大阪湾を対象に堆積物を採取し,歴史時代において精密な古気候復元をした.時間範囲が短いので,高時間分解能で年代モデルを構築した.高精度の堆積速度を求めるため,多試料の炭素14同位体分析を行い,ウイグルマッチング法により,層準ごとの年代を正確に評価した.また,帯磁率,密度,粒度分析などを行い,河川からの環境変化を把握した.大阪府の海岸線は,昔は南から北に向かって上町台地が半島のように突き出ていた.その高まりは当時,砂州でその東側には,「草香江」と呼ばれる広大な潟(内湾)が生駒山西麓まで拡がっていた.縄文時代中期にはこの内湾は広大で,しだいに淡水化した.自然の堆積作用は,その後も継続し,弥生時代になると草香江は大きな湖となり,さらに土砂による埋め立てが進行し湿地帯に移行した.アルケノン水温の分析した結果,700年以前と以降では堆積速度が大きく変化していた.これは,700年頃行われた難波宮への遷都などが関係していることが示唆された. 3000年間の水温は22-25℃の間で推移していた.水温の極大は約600AD,約800 AD,約1420 ADに,逆に極小は約650 AD,約1000 AD,約1600 ADに現れた.但し,17世紀後半以降,大阪湾周辺では多くの土地改良,湾岸工事がされているので,河川の流れが変化したためか,堆積物の密度構造にも影響を与えた可能性がある.大阪湾周辺では,ヨーロッパで認められるような典型的な中世温暖期は存在しなかった.変動の支配因子について考察し,複数以上の相互作用により気温変動がもたらされたと結論した.
1: 当初の計画以上に進展している
気候・環境変動と過去の文明の盛衰の議論は,基本的に湿潤―乾燥に重点が置かれてきた.気温については,三内丸山遺跡の縄文の大遺跡が2.0℃の寒冷化により4.2kaに崩壊した研究事例がある(Kawahata et al., 2009).北日本は作物の気温限界値なので,気温は効果的な束縛条件となる.気候要素として雨量も重要である.これを併せて最終的に解析を行い,近未来気候変動の全体像を提出したいと考えている.
①海水準がほぼ現在と同じ過去7千年間でも,気温は明らかに変化してきた.温暖・寒冷の時期と気温,環境変動の周期はいかなるものであったか?②この主要な支配因子は何であったか?私達の解析結果によると,③「日本には中世温暖期はなかった」が,その理由は「大エルニーニョ状態」との作業仮説をもっている.これを検証する.④「日本でも小氷期は存在した」が,原因は頻繁な火山噴火か?日射量が寄与したか? ⑤歴史時代の気候解析で重要な数十年~百年スケールの気温変動は単一因子でなく複合的要因によると考えているが,どの因子が最重要であったのか?⑥日本の巨大噴火は寒冷化をもたらしたか?⑦融氷期の急激な昇温に植生はどのように呼応したか?⑧近未来に起こる地球温暖化への示唆は何か?以上の課題について今後明らかにすることが必要だと考える.
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Quaternary Science Reviews
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