研究課題/領域番号 |
15H02944
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研究機関 | 青山学院大学 |
研究代表者 |
飯島 渉 青山学院大学, 文学部, 教授 (70221744)
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研究分担者 |
小川 和夫 公益財団法人目黒寄生虫館, その他部局等, 館長 (20092174)
千種 雄一 獨協医科大学, 医学部, 教授 (20171936)
市川 智生 長崎大学, 熱帯医学研究所, 助教 (30508875)
門司 和彦 長崎大学, 熱帯医学研究所, 教授 (80166321)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 日米医学協力計画 / 熱帯医学 / 日本住血吸虫症 / JICA / バランガイ |
研究実績の概要 |
本研究計画は、東南アジアを主な対象地域として、感染症や寄生虫疾患、がんなどの調査研究を進めた日米医学協力計画(1965~90年)とそれを基礎としてJICAなどが進めた医療や公衆衛生に関する援助事業の歴史的意味を検討することを目的としている。そのため、①政策決定に関する両国政府の公文書など一次資料の分析、②日米医学協力計画や援助事業に参加した研究者への聴き取り、③援助事業の対象となったフィリピンなどでのフィールドワーク、が研究の中心となる。これらを通じて、医療や公衆衛生を基盤としたソフト・パワーが、日米関係や東南アジアをめぐる国際関係のなかで果たした役割とその歴史的意味を明らかにする。 本年度の特筆すべき成果としては、フィリピン・レイテ島の住血研究センターが所蔵していた疫学的資料の修復を行ったことがある。この資料は、日米医学協力計画やJICA、その後、笹川財団が実施した医療協力を基礎として蓄積された疫学的データであり、研究を進めるために不可欠のものである。しかし、数年前にレイテ島を襲った台風によって資料は被災し、その利用が困難になっていた。そこで、資料をいったん日本に運び、修復を進め、資料をデジタル化し、作業終了後に、資料を返却した。この作業に関しては、東日本大震災を経験し、東北大学災害科学国際研究所が蓄積してきた手法を援用した。 聞き取り調査を継続し、日本住血吸虫症対策に関しては、日本、中国、フィリピンの状況を比較検討した。この中で、各地での住血対策の基礎に地域コミュニティーの役割があったことを確認した。日本の場合、共同体的な秩序意識が大きな役割を果たし、対策への住民の参加が進んだ。中国の場合、対策は中国共産党の政策として進められ、大衆動員のかたちをとった。しかし、フィリピンに関しては、地域コミュニティーであるバランガイは十分に機能しなかったことが明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
聴き取り調査およびフィールドワークは順調に進行している。聴き取り調査の結果は、順次、文字起こしを行い、これを研究資料として広く研究者の利用に供するため、部分的な公開を計画している。この場合、聴き取り対象者のプライバシーに配慮する必要があるが、事前に了解を得ており、また、文字起こしの記録を再度確認してもらい、非公開部分を削除するなどの作業を行った。これらの記録は、目黒寄生虫館で部分的に公開することを計画中であり、本研究計画の終了までには実現が可能である。 文献資料の収集と整理、外務省記録の確認に関しては、その量が膨大であるため、若干遅れているが、これも研究計画の終了までには一定の段階に到達することが可能である。なお、現在の段階で大きな問題となっているのは、日米医学協力計画の中で蓄積された研究情報(報告書、会議記録など)が、一般に図書としての登録がなされていないため、国立国会図書館や主要な大学医学部図書館においても、系統的に整理、所蔵されていないことである。そこで、現在、日米医学協力計画に実際に参画した研究者に依頼して、提供可能な資料を寄贈してもらうように交渉している。文献などは膨大な量になるが、このままでは、日米医学協力計画の内容を示す歴史的な資料が保存されない危険が大きいため、暫定的にこうした措置をとることとした。 本研究計画の中で収集した資料の多くは、長崎大学熱帯医学研究所や目黒寄生虫館とも協議して、適切な保存・公開のあり方を模索している。しかし、この作業にはかなりの時間を要するため、今後、継続的にこの課題を実現するための具体的な手順を検討し、同時に、デジタルベースでの熱帯医学図書館の設立などを模索することも必要である。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、研究計画の最終年度であるため、外務省記録などの公文書の整理、日米医学協力計画に関する報告書などの文献の整理、関係者からの聴き取り記録の整理、の3つの作業に関して、取りまとめを行いたい。取りまとめの過程で、本年秋ないしは来年の年初に関係の研究集会を開催し、これまでの研究成果を明らかにし、今後の課題を展望することとしたい。 日米医学協力計画(1965~90年)は、1965年1月、米国のジョンソン大統領と日本の佐藤首相がワシントンで会談したことをきっかけとして開始され、その内容は、東南アジアを中心に、感染症や寄生虫疾患、栄養不良、がんなどのさまざまな疾病の調査研究を進め、その抑制に寄与することを目指すものであった。このため、日米医学協力計画は、ベトナム戦争に協力し、日米両国の東南アジア政策を補完するものであるとの批判にさらされることになった。 日米医学協力計画にそうした側面があったことは否定できない。他方、日米両国政府の意図とは別に、日米両国の研究者は自らの調査研究を進める場として日米医学協力計画に参加し、援助対象であった東南アジアでは、実際に感染症や寄生虫疾患などの抑制が大きな課題となっていたため、東南アジア各地の研究者もこれに参加した。すなわち、日米医学協力計画には、それぞれの立場からの動機があった。 このことは、医療協力をめぐる、政策の論理、研究の論理、地域の論理の交錯する位置に日米医学協力計画が位置していたことを示すものである。最終年度である本年度には、こうした問題をより理論化して、研究成果として公表すると同時に、日米医学協力計画の延長線上にあったと考えられる、20世紀末に日本政府が進めた国際寄生虫戦略(通称、橋本イニシアティブ)にも注意を払いながら、今後の研究課題を展望したい。
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