研究課題
実世界神経科学real-world neuroscienceという新しい学問分野を英文総説として提唱した(Neurosci Res 90:65-71, 2015)。そこではこれまでの脳研究の発展を、1950年代後半からの感覚や理性を対象とした感覚脳・理性脳sensing brain、1970年代後半からの情動や感情を対象とした感情脳emotional brain、1990年代後半からの対人関係や社会性を対象とした社会脳social brain、2000年代後半からの自我・自己・身体を対象とした自我脳ego brainの時代として振り返ったうえで、これからの発展として行動の最中の脳機能を対象とする行動脳action brainを挙げ、そこでは実世界における脳機能を検討する実世界神経科学real-world neuroscience、複数個体の相互関係を検討する複数個体神経科学two-person neuroscienceの視点が重要であることを強調した。さらに、この自我脳と行動脳の発展として、人間の表象機能に注目する表象脳symbolizing brainの可能性を論じた。そうした研究を具体的に進めるうえでは、自然な状態で脳機能を測定できる近赤外線スペクトロスコピィNIRSが有利となる。そこで、NIRSデータと脳機能測定に広く用いられるfMRIデータを同時に記録し両者の関係を検討したところ、プローブを3cm程度の間隔で設置するとNIRSは脳由来の信号を捉えることを示すことができた(Neurophotonics 2:015003, 2015)。こうしたデータに基づいて、自我脳の機能を検討するうえでNIRSが有用であることを示すことができた。
2: おおむね順調に進展している
従来の神経科学における脳機能画像研究は、被検者が仰臥位で無動を保った状況で行われており、日常の生活場面とは異質な環境で行われてきている。これは、現実の実世界での脳機能をそのまま検討できる脳機能画像法が存在しなかったためである。自然な状態で脳機能が測定できる近赤外線スペクトロスコピィNIRSの利点を生かすことでその制約を乗り越え、実世界における自我機能を反映する脳機能を測定するうえでの方法論の基盤とすべく、NIRSとfMRIの同時測定という困難な状況に取り組んでデータにもとづいてその根拠を示すことができた第一年度であった。
昨年度は、自我脳という学問分野を開拓していくうえで必要となるNIRS検査法について、その方法論的な基礎を確立した。統合失調症の自我障害やうつ病の精神運動制止などいずれの精神疾患の病態生理においても、内発的に行動を起こす主体としての「自我」の機能とそのメタ認知である「自己」の機能は重要である。健常者における「自己」の脳機能については前頭葉内側面の重要性が明らかになり、精神疾患においてはその機能障害が脳機能画像研究で明らかとなってきている。こうした自己の脳機能についての解明の進歩に比べて、「自我」の脳機能の解明は立ち遅れている。それは、脳機能画像検査法の制約から「与えられた課題を受動的に処理する」という検査状況に限定されて、自ら目標を設定し内発的に行動を起こす際の脳機能画像検査が困難なためである。最近になって、統合失調症の自我の脳機能について、行動についてのmotor self、感覚についてのsensory-affective self、身体についてのbodily selfの複合として理解できるとするモデルが提出された(Ebischら in press)。第二年度は、こうした自己と自我についての新しい発展にもとづいて、健常者についてそれらの背景にある脳機能をNIRSや脳磁図MEGで検討するとともに、精神疾患患者におけるその変化を検討していくことを予定している。
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