平和的生存権思想が、地域固有の自然とその生態系とともに生きる生業に内在して生成する様子を、当該地域の集団的な学習の過程のなかに見出すことができた。 調査の過程でわかったことは、現代の日本社会に生きる若者は決して「平和」のなかを生きていない。だから、「これから戦争が起きたら大変なことになる」という現在を平和の状態あるいは戦争前夜として捉える捉え方にリアリティを持てないということである。「だって私たちは戦争さながらの暴力的な生活環境で生きているのだから」ということである。 であるから、平和の価値を学び取るためには、あたまではなく、からだで、すなわち衣食住や労働といった身の回りの生活の中で、自分のからだや考え方、感情が大事にされているという「感覚」を得なければ、戦争の悲惨さや非合理性に関する論理的な思考はついてこないだろう。 地域の自然やその生態とともに成立する生業のなかには、自然とのかかわりにおいて様々な陶冶が存在していた。ふだん、自然と関わる環境のないものにとっては、その交わりの体感自体がからだの緊張をときほぐす。一方で自然は強烈な他者でもあり、洪水や集中豪雨などで自分たちの農作業が台無しになってしまうこともあった。そのような苦労を経てでも、自然は私たちに大きな恵みを与えてくれるものであり、その充実感を経たとき、あらためて、他者性とじっくり向き合い、地道に物事を解決していかなければならないという「民主主義の感覚」がじわじわと味わえるようになってくるのだった。
|