前年度に引き続き、九鬼周造と西田幾多郎の哲学の比較・究明に努めた。特に今年度は、哲学・思想雑誌の『現代思想』(青土社)および『理想』(理想社)において、ほぼ同時期に九鬼周造特集が組まれ、その双方から論文執筆を依頼されたため、九鬼研究に主軸を置く形となった。 『現代思想』に寄稿した論文「「自然支配」と「自然随順」のあいだ―九鬼周造の「自然」概念が問いかけるもの」では、従来たんなる日本主義ないし国粋主義的言説とみなされ、ほとんど黙殺されてきた、九鬼周造の「自然」概念に関し、『偶然性の問題』における必然論・偶然論を基礎とした解釈を行ない、その哲学的意義を闡明した。これによって、九鬼の「自然」概念は、しばしばいわれるように、「自由」に基づく「自然の支配」を退けてありのままの自然の随順することを意味するものではなく、むしろ自由に基づく道徳的実践の反復が「習慣」と化した「第二の自然」を意味していること、またその意味で、西洋的な「自由」と東洋的な「自然」とを止揚した概念であることが明らかとなった。また、それゆえに、九鬼における「習慣」概念のさらなる考察の必要が、今後の課題として示された。 『理想』に寄稿した論文「日本主義という呪縛―九鬼哲学を解放する」では、1930年代後半の九鬼哲学は日本主義的性格を強め、閉鎖的な文化的ナショナリズムに陥ったとする、坂部恵や藤田正勝によって示されて来た従来の見方に疑義を呈し、むしろ30年代の九鬼哲学は、多様な民族・文化の個別性・特殊性を擁護しつつも、同時にそれが他文化・他民族に対して根源的に開かれた、きわめてラディカルな多元的世界を構想するものであったことを明らかにした。ここに、九鬼哲学を、偶然性を基礎とした独自の歴史哲学として再構成する展望が開かれた。
|