本研究は、従来のエネルギー概念史が歴史的に空白としてきたルネサンス期から古典主義時代までの自然学の分野で、エネルギーの語が使用されていたことに着眼し、この語の用法とその変容過程を、当時の自然哲学の形成と連関させることで、概念史自体の書き換えを最終目標に据えている。これを達成すべく、昨夏のフランス滞在中に、以下2点の主題をテクストの分析を通して考察した。 1. 超越論的活力概念が、物質の能動的内在原理となって自然学に接近していくことを、宗教改革期の聖餐論争で現れた、聖体を神の「活力」の顕現だと考えたプロテスタントの一派の身体性の論理から論証する。 1. については、ルネサンス期に、能動的内在原理としてのエネルギー概念が、神の超越論的エネルギーから自然の物質的エネルギーへと転位していくことを突きとめた。聖餐をいわゆる〈実体変化〉とは認めずに、キリストの身体の単なる象徴の一種に過ぎないとみなす彼らの論争的思想には、脱神秘化傾向が、言い換えれば、ある種の近代的眼差しがうかがえることを明らかにすることができた。引き続き、当該プロテスタント一派の思想背景・形成過程について探求する。 2. 現在フランス語のenergegiqueは物理学エネルギーの形容詞であり(活力の容詞energiqueとは区別される)、19世紀以降に作られたとされているが、18世紀の『百科全書』によれば、この語がア・プリオリに力を内在させる物質をかつて指していた。当時のこの語の使用者を明らかにする。 2. については、17世紀イギリスにおけるこの語の使用者は判明したが、さらに時代を遡る必要がある。一方、この語の消滅が物質に力を内在させることを拒否する機械論派による排除の結果であり、物質に作用原理を内在させる反機械論とルネサンスの物質観の間に連続性が存することを論証する問題設定を立てるに至った。
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