2016年度は研究課題のうち(1)「精糖業者中川虎之助のナショナリズムとアジア認識:南洋進出・保護貿易・地域振興」の調査、および(2)「ある在朝鮮ジャーナリストの軌跡:村松恒一郎・青山好恵兄弟をめぐって」の追加調査を行った。 (1)については中川虎之助の郷里・徳島(徳島県文書館・徳島県立図書館)で史料調査を行った。プランテーションからの原料調達・機械利用の大量生産により廉価に輸入される洋糖の圧迫に対応すべく、中川はまず輸出入商社「大阪洋行」を設立し(1886年)、厦門を拠点に砂糖輸出を試みた。直輸出構想は1880年代末に頓挫するが、その経験は1890年に表明された保護貿易の主張に繋がり、以降も保護主義的発想が中川の商業・政治活動を貫くことになる。 中川の活動は石垣島の砂糖きびプランテーション開発(1894年より)、台湾・台南での製糖事業(中川製糖所、1901年より)と近代日本のアジア進出に伴い拡大していく。このように近世以来の地場産業が不振に陥るなかで地域振興をかけて海外進出を志すという行動様式は、同時期の愛媛県今治の実業家八木亀三郎(シベリアへの塩輸出・水産物輸入、北洋漁業進出)と重なる。そのため本研究は2017年度科研費(若手研究B)採択課題「近代日本の海洋進出とナショナリズム形成に関する思想史的・地域史的研究」と合わせ今後も発展的に実施する予定である。 (2)については、先行研究が高く評価する『香川新報』の「東学党」報道を再検討し、日清戦争期の朝鮮認識形成のより立体的な把握を試みた。それらの成果は「『朝鮮新報』主筆青山好恵の東学農民戦争報道:1880年代の朝鮮情報流通と居留地メディア」(京都大学『人文学報』第109号)、「『香川新報』の東学農民戦争報道:地域からのまなざしをいかに捉えるか」(『愛媛大学法文学部論集人文学編』第41号)として、2017年度中に公刊予定である。
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