昨年度に引き続き、本年度も国立国会図書館、防衛省防衛研究所、東京都江戸東京博物館、静岡県立中央図書館などに出張し、史料調査を行った。特に、静岡育英会発足当初、及び戦後の終焉へと向かう過程の一次史料・刊行物や、関連文献などを確認し、必要に応じて複写・写真撮影を行った。 これらをもとに、数度に分けて研究報告を行った。本年度解明した内容をまとめると、(1)大正六年の会務改革以後、静岡県人の子弟へと対象が拡張され、静岡県の行政担当者に対して協力を仰いだこと、(2)関連して、旧藩地域の静岡において、旧藩主たる徳川家達が〈可視化〉される仕組みを掛川出身の官僚・河井弥八が中心となって構築されたこと、(3)会への寄付金を募集するために、静岡県下の政治家・実業家と積極的に接点を持ったこと、(4)戦時下においては、軍人学校や理系の学生に奨学金を手厚くしたこと、(5)戦災により事務局が焼失した戦後、改めて会務を立て直そうとしたが、経済変動に対応することができず、別の組織に会務を託して昭和三十八年に解散したこと、である。 会務の構造と浸透については、旧幕臣(の子弟)という、個人中心の東京と、行政組織を中心に会務の運営を行った静岡地域という対比が見出せる。大政奉還後の政治・社会状況の変化を受けて各地に散逸した旧幕臣は必ずしも〈静岡藩〉を経験したわけではないため、静岡育英会に対する彼らの団結心が希薄であったことも注目される。また、旧藩主・徳川家達が静岡に対して熱心に活動するのは、大正期になってからであり、一方で、静岡地域の住民にとっても、明治維新後に一時的・人工的に誕生した静岡藩を〈旧藩〉と認識しがたかった事情があり、この点は、これまで大名華族と旧藩地域で取り上げられてきた他の事例とは大きく異なるものと言えよう。
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