平成28年9月5日から9月24日までの間、フランス、スイスにおいて、1900年から1930年前後に当地に滞在した日本知識人達の中で中心的な役割を果たした人物についての、滞在時の痕跡や当地の人々との交流関係を洗い出す調査を行った。 石川三四郎に関しては、滞欧中の石川を庇護したルクリュ一家が住んで居た南仏ドンム村を訪ね、現存するポール・ルクリュ邸を、現在の家主の許可を得て見学した。また、ドンム村や近隣の町の人々への聞き取りから、当時の資料についての残存状況や、当地の人々における石川三四郎という人物についての理解状況を把握することができた。 新渡戸稲造については、国際連盟の事務局次長時代に滞在していたジュネーブ郊外のジョント村、及びジュネーブ市内にある国際連合ジュネーブ事務局の見学を行った。ジョント村の旧新渡戸邸の現状について確認するとともに、ジュネーブ事務局のアーカイブ資料室に、国際連合時代の新渡戸に関連する資料が保管されていることを確認した。 また、パリでは小牧近江が在籍していたアンリ四世高校の内部を見学するとともに、アルベール・カーン記念館では、カーンの日仏交流について知ることのできる映像資料等を購入した。また、当地に長く居住する日本人の芸術家、その遺族、その他事情通の人々から、パリの日本人社会における人脈やその形成過程についての話を伺う機会も得ることができた。 平成29年3月には、上記のドンム村での調査を補完する作業として、本庄市立図書館の石川三四郎資料室に保管されている石川三四郎宛書簡の調査を、フランス語資料を中心として行い、石川三四郎の日仏交流の足跡にある程度の見通しをつけることができた。加えて、生前のジャック・ルクリュと実際に交流のあった方々からもルクリュ家についての証言を得ることが叶い、この一族を中心とした当時の日本人の人脈の広がりを確認することができた。
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