当該年度の研究では、尾中や本多と同じく泊園書院出身「企業家」であった永田仁助の思想および実践を考察するとともに、大成教会の会員であった彼らに自らの『弘道新説』を配布し教導した同書院の院主藤澤南岳の西洋理解、とりわけその〈文明〉〈科学〉〈宗教〉理解の把握に努めた。 その結果、泊園書院の院主藤澤南岳は、企業勃興期の初期時点において「正徳」「公平」「天人」といった儒教的諸概念を媒介として西洋近代の〈文明〉〈科学〉〈宗教〉を理解し、そこからさらに自らの思想体系を発展させようとしていた事実が明らかとなった。また、そうした文明論的な儒教観は、それぞれ農民、武士、商人を出自とした泊園書院出身「企業家」の尾中、本多、永田の事績や著作においても、多かれ少なかれ認められるものであった。とりわけ大阪の米穀商の子で浪速銀行と大阪電灯を経営した永田についていえば、彼のあるべき国家・社会・歴史に対するスタンスは、それぞれ〈臣民〉と「公道」、〈独立〉と「中和」、〈進歩〉と「克己」が矛盾なく昇華するものと解されており、上記の文明論的な儒教観を強く信奉する人物であったといえる。 なお、尾中、本多、永田はそれぞれ食塩製造業、生糸製造業、米穀販売業など、江戸期以来の在来産業の担い手として資産を形成し、そのうえで銀行業や鉄道業、電力業など、西洋の制度や技術を必要とする近代産業へと参入していった人々であった。本研究は、そうした日本の産業革命期に見られる経営形態の事業主が、自らの事業活動を展開するに当たり、上記の文明論的な儒教観を必要とした可能性を窺わせるものであり、思想史および経営史の両分野において構造的な分析を試みる、これまでにない試みであったといえる。
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