本研究は、加越能地域からみた近世日朝関係について、朝鮮通信使を中心に分析したものである。ここでは近世中期に加賀藩前田家の担った「乗馬役」、そして村々の「朝鮮人御用」を取り上げた。主として享保4年(1719)に加越能地域の十村衆が村々の駅馬派遣を支えていたこと、延享5年(1748)、村々への役負担の一極集中を避けるため、駅馬調達地の拡大・分散化が進んだこと、宝暦14年(1764)に朝鮮人御用の請負化のなされたことが明らかになった。特に請負化に伴う通信使行列の混乱が、加賀藩の事例にも見られ、対馬易地聘礼や通信使途絶の遠因として、更に検討していくべき課題と確認された。
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