マダガスカル島において、インド系マダガスカル人(以下コージャ)は、いわゆる近代世界システム論における「中枢」と「周縁」の関係を利用し、すなわち「中枢」のイギリスやフランスの「コントワール(仲介者)」として、「周縁」のマダガスカルなどの東部アフリカ海洋文明圏の諸地域で経済活動に従事していた。 一方で、16世紀に西ヨーロッパを「中枢」に国際分業体制を基礎として登場したという近代世界システムでは、「中枢」にいたるために国民国家を装い、植民地であった「周縁」もまた国民国家の完成を目指すためにナショナリズムを採用し、20世紀には民族自決の理念のもと、国民経済の盛期を迎えた。その過程で民族対立が激化した。したがって民族対立は「国民国家」形成の過程で鋭敏化したのである。 ウォーラーステインは「史的システムとしての資本主義」が民族集団を編成し、そのシステムのなかで最適な労働配分の一つの単位として、民族を機能させると述べた。確かに19世紀~20世紀、コージャはフランスやイギリスの「コントワール」として活動していた。しかしそれは、彼/彼女らが「コントワール」であることを最優先させた一つの事実にすぎない。「コントワール」であるために資本主義のなかで、民族を演じたにすぎない。コージャが資本主義を利用したのである。インタビューを通じてコージャという「民族」は、十二イマームシーア派であるという宗教的根拠と「コントワール」という根拠から獲得されるものであり、とりわけ後者がコージャを「民族」として規定する大きな要因である。これは近代以前からの規定であり、ヨーロッパ近代的なイデオロギーとは直接関係していない。コージャは、インド、パキスタンやマダガスカルの国民経済の発展の過程で民族となったわけではないからである。ジャーティというきわめて非公式の制約が、コージャを「民族」として成立させていることが理解できる。
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