平成29年度は、正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐について多角的に研究を進めた。 1、子規について。まず、漢詩句の前書を持つ子規句に注目し、「写生」の枠組みに収まらない句作のあり方を再評価した。特に、日清戦争従軍後の句群と、「蕪村句集講義」での句評を中心に、評論「俳句と漢詩」(明30)の相対化を図った。次に、子規の逸文「文学談」を紹介した。当該の文章は帝大在学中の子規が松山で行った講演の筆記録で、松山中学の学生らによる文学研究会・逞文学会の機関誌『文学之栞』に掲載されていた。 2、虚子について。まず、写生文を推進する虚子の論法について考察した。明治30年代後半の虚子は「主観」的な俳句を支持していたが、散文の領野で写生文を価値づける際には、「客観」的な「俳句趣味」を標榜している。こうした他ジャンルを意識した言説により、「俳句」の境域が再編成されていく。次に、虚子「斑鳩物語」(『鶏頭』、明41)を中心に、自然主義全盛期の一傍流とみなされてきた彼の小説を、同時代的な社会状況の中で再評価した。最後に、虚子と碧梧桐の温泉百句論争を、従来看過されてきた俳誌上の同時代言説を通じて読み解き直した。 3、碧梧桐について。まず、柿衞文庫主催の柿衞忌において、碧梧桐の第一次全国行脚に関する講演を行った。次に、明治30年代前半の碧梧桐俳論を三篇紹介した。いずれも既存の全集には未収録だが、先行研究に乏しい時期の俳句観を伝えている。最後に、日露戦争を背景とする川柳と俳句の動静を、当時の碧梧桐の俳句観と関連づけながら考察した。川柳が「興国的文学」を自任し、「武装俳句」が失敗に終わる中、従軍への熱意を絶たれた碧梧桐は反動的に俳句研究へと傾注していく。 以上の研究と並行して、天理大学附属天理図書館や神奈川近代文学館で資料調査を実施した。特に、明治37年から39年頃の俳誌を調査し、当時の俳句言説を広く収集できた。
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