〈研究目的〉 本研究は、中国唐王朝の北衙禁軍が、内的要因(国内の政治・社会との関わり)と外的要因(周辺諸国との軍事的緊張)によってどのように変容し、かつ禁軍として独自の体制を築いていったかを解明することを目的とする。唐の禁軍軍事システムは王朝自体のありかたに大きく寄与しており、それだけに、禁軍の構造を明らかにし、歴史的に位置づけることは、唐王朝の統治体制の把握に直結する重要な課題なのである。採用第三年目かつ最終年度である本年度は、以下の二点、すなわち①〈帝国〉の構造の縮図としての北衙蕃将の検討、②北衙神策軍の構造の検討、のそれぞれのテーマについて分析を深化させ、本研究課題の総括を行った。 〈研究方法〉 まず、上記①の課題については、前年度に中国陝西省西安市で行った現地調査の成果をふまえて、新出石刻史料「鐸地直侍墓誌」を題材に、武則天期に北衙に配属されたひとりのテュルク系蕃将の生涯をたどることで、当時の対突厥情勢と北衙の実態という異なるふたつの問題に切り込んだ。上記②の課題については、依然として全容が曖昧なままである神策軍の研究の体系化を目指し、基礎的事項の整理を行うとともにその禁軍としての性格の変容を三段階で把握し、問題点を明確にした。 〈研究成果〉 前年度に行った研究報告「唐・長安城の禁苑と北衙」は本年度、同名論考として雑誌に掲載された。また上記①の課題については、共同発表を行ったのち、共同訳注「西安碑林博物館蔵『鐸地直侍墓誌』(唐・開元一一年)」に結実させた。上記②の課題については「唐代神策軍の展開とその変容」と題する研究報告を行ったほか、研究報告で得られたフィードバックをもとにした論考の発表を予定している。また、古代ローマと唐代との比較史の観点から行われたシンポジウムで報告を行い、それを論考「唐の官僚制と北衙禁軍」として成文化した。
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