本研究は、J. S. バッハの楽曲にみられる転回の用いられ方の変遷を実証的に跡付けるものである。 バッハはヴァイマール時代に、浩瀚な蔵書を誇ったJ. G. ヴァルターと懇意な間柄にあった。本研究では、バッハがヴァルターを通して様々な転回に触れたとの仮説を立て、ヴァイマール時代を主要な対象に、1、バッハの楽曲の分析、2、バッハやヴァルターが筆写した他者楽曲の分析、3、ヴァルターが所持していた理論的手稿の読解を行う。 昨年度は、サンプルとなる楽曲を抽出し、そのモデル化を行い、楽曲を分類することで、変遷の過程を示すための土台を築いた。多くの楽曲を対象に試験的分析を行う中で三点の課題が浮かび上がったため、本年度はそれらの解決に注力した。以下は昨年度の実績報告書の「今後の研究の推進方策」と対応する。 1、転回可能であるか否か、その判断の拠り所とされたであろう「基準」を明らかにすべく、バッハの不協和音の扱い方の時期ごとの特徴を確認した。2、転回の用いられ方の変遷の過程をよりつまびらかにすべく、本研究が主要な対象とするヴァイマール時代の前後に由来するバッハの楽曲をも検討した。他者楽曲については、バッハやヴァルターが筆写したものに限らず、目にした可能性の高いものをも視野に入れた。更に、ヴァルターが所持していた理論的手稿と関連の深い、転回を扱った同時代の理論的手稿の読解にも着手した。3、楽曲分析の精度を高めるべく、関連文献のとる手法を参考に、計九つの着眼点を定めた。 二年間に亘る本研究の成果をもとに提出される博士論文では、十把一絡げに捉えられて来たきらいがある「転回」という一観点からみた、バッハの作曲技法の発展の道筋を描き出す。先行する様式研究において導かれる傾向と照合しながら総合的な記述を目指すことで、バッハの成熟へ向けた歩みの様相について、より多面的な理解がもたらされよう。
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