研究課題/領域番号 |
15J07295
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
高橋 健二 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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キーワード | manas / 心 / 『マハーバーラタ』 / サーンキヤ / ヨーガ / 知性 / 創造説 |
研究実績の概要 |
昨年度は8月末までオランダのライデンに滞在してライデン大学にてPeter Bisschop教授の下研究に従事し、9月からは受け入れ研究機関である京都大学に戻り、横地優子教授の下で継続して研究に従事した。 本研究では古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』に収められている初期サーンキヤ・ヨーガ哲学を保存した哲学篇におけるmanas (心)の概念を文献学的に分析することを目的としている。なお、当初は統覚・自我意識・心(発表題目では思考器官とあるが、研究の過程で心と訳すこととしている)を研究する予定であったが、初期サーンキヤ・ヨーガ哲学において特徴的な心に焦点をあてることとした。本年度は博士論文で用いる予定である部分についてはほぼ全て詳細な注を施した英訳を完成させた。また新たに、指導教員と相談した結果、申請者が扱う部分についてはこれまで使用されていなかったネパール系の写本の情報を注に盛り込むこととした。『マハーバーラタ』のいくつかの部分についてはネパール系の写本を使った研究があり、近年その価値が見直されつつあるためである。ネパール系の写本を入手するために、三月にネパールのカトマンズにある国立公文書館に赴き、写本データを入手した。 本年度の主な業績は以下の三点である。(1)『マハーバーラタ』12.224-225ならびに『マヌ法典』に共通して見られる創造説・帰滅説を分析し、文献学的分析から編纂過程を再建し、その編纂過程に見られる心についての哲学的発展を分析した。(2)『マハーバーラタ』XII.203-210については心の概念について身体論的・心理学的アプローチが見られることを指摘した。(3)『マハーバーラタ』XIV.30については、知性との比較において心のヨーガ修行における役割を明らかにした。(1)と(2)の業績についてはすでに論文を投稿しており、現在査読中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度予定した学会発表ならびに論文の投稿については予定通り行うことができた。しかし、当初予定したテキストの英訳部分については、英訳と注釈は完成したものの、研究の過程でネパール写本を参照する必要があることがわかった。昨年度末にネパールへ写本調査に赴いたが、申請者は今回が初めての写本調査だったことや時間の制約などのため、予定していた写本の複写を全て取ることができず、本年度もネパールに赴き、写本調査を継続する予定である。また写本情報の論文等での使用許可についてもこれから順次取得する予定である。またネパール写本を研究する過程でテキストの英訳や注釈については見直すべきところが明らかになり、現在改訂版を作成中である。 また本研究は主に哲学的観点から当時の思索の一端を明らかにすることを目的としている。しかし、哲学的発展には、当時の医学的知識や身体論、あるいは儀礼体系やその発展も関係していることが判明した。これらの分野について申請者は不慣れであるために、哲学的発展と当時の身体論や儀礼体系との関連性について一応の見通しなどは立てることができたものの、今後申請者自身の知識を深めるとともに、哲学的発展と当時の身体論や儀礼体系との関係を明らかにしていく必要がある。 またこれまでの研究の過程で明らかとなったもう一つの問題点は、哲学的思想の発展だけでなく、当時の哲学者たちの呼称である。本研究で扱っている哲学説はしばしばadhyatma「個体に関する」ものと呼ばれる。研究の過程で、adhyatmaという語には、身体論的・心理的分析という意味が込められており、この呼称に注目することで、哲学思想の発展や当時の哲学派の様子などを明らかにできる可能性があることがわかった。今後この呼称についての考察を軸に、心の概念についての発展を追う研究を行う予定である。
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今後の研究の推進方策 |
平成29年度は、上述したネパール系写本の調査、ならびにネパール写本に基づいたテキストの再検討を行っていく予定である。また学会発表および論文投稿については主に以下の二つを予定している。 (1) 『マハーバーラタ』12.175-180と『マハーバーラタ』3.203には同じ典拠から転用したと思われる、万人に内在する火についての教説が見られる。二つの説を比較検討することで、現在は知られていない共通の典拠の再建を試みるとともに、二つの説の成立過程について考察する。特に『マハーバーラタ』12.175-180においては、その内在する火について、無我論者との対論を導入し、自我論、身体論、心理学などの側面から万人に内在する火を正当化しようと試みている。この無我論者が実際どの哲学者、あるいは哲学派が意図されているのか、当時のジャイナ教や仏教などの教説と比較しつつ検討するとともに、無我論者に対する反論に見られる諸説の哲学的意味を考察する。 (2) 申請者が主に研究している哲学編はadhyatma「個体に関する」と呼ばれる。adhyatmaという語はこれまで先行研究においてさまざまに解釈され、さまざまな訳語が与えられてきた。先行研究の解釈の根拠を検証し、また実際の用法を分析することで、先行研究の解釈における問題点を指摘する。これまでadhyatmaと呼ばれる教説群についてこれまで包括的に扱われることがなかった。本研究でadhyatmaという名のつく教説群について、その内容とともに一覧表を作成することで、その教説の内容とadhyatmaという言葉の意味の関係について考察を与える。 また本年度は博士課程三年次にあたるため、上記の研究や学会発表を行ったあとは、これまでの研究や論文などを博士論文としてまとめ、所属大学に提出する予定である。
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