本年度の研究において報告者はまず、先行研究の整理と下記テクストの概括的な読解につとめた。その結果、A.検討の対象となる帝政期において、①観念学、②18世紀啓蒙主義、③ピネルやカバニスをはじめとする医学者たちの手になる勃興期の精神医学という、一様ではないものの相互に参照しあうひとつの知的潮流が、人間に対する独占的な知識を標榜する新たな言説として姿を著していること。B.表題と同名人物を主人公に据えた小説というメディアに注目したド・スタール、シャトーブリアン、セナンクールの3人がいずれも、上記の人間科学を取り込みつつ、批判意識のもとに創作を行ったことの二点をそれぞれ確認した。
この前提をより細かく検証するため、報告者は本年度を通してとりわけシャトーブリアンの初期小説群(『アタラ』『ルネ』『ナッチェズ』)における情念の形象と物語論的機能に着目した分析を試みた。申請者は、はじめ叙事詩として構想されたものの、19世紀最大の護教論となった『キリスト教精髄』に統合され、さらに再び独立した小説作品として発表されるという複雑な経緯を辿ったこれらの作品群を、同時代の医学的言説を代表するジョルジュ・カバニスの1802年の著作『年齢が観念と道徳感情に与える影響について』と対比しつつ、シャトーブリアンが老人のメランコリーや孤独と精神衛生といった既存のトピックにどのように応答したかを明らかにしようとした。 報告者はそこから、①「キリスト教精髄」においても主要な論敵であった観念学に対する批判的距離と、同時代の科学的言説の引用の両方を包含する形で小説内の人物造形が成されていること、②当該作品のうちにはしばしばラベリングされるように「護教論的」な教訓譚としても、病的な生を描いたゴシック小説としても読むことができない、自律的なフィクションの次元が見いだせること、の二点を仮説として提出した。
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