研究課題/領域番号 |
15J09245
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
笠松 和也 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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キーワード | スピノザ / 近世オランダ / 感情論 / 表象 / 人間 |
研究実績の概要 |
本研究は、スピノザ哲学を同時代の著作家たちの思考と比較することを通して、スピノザの「表象(imaginatio)」論の発展とその哲学的意義を明らかにすることを目指すものである。本年度は、特にコナトゥス概念と欲求概念に着目しながら、スピノザ哲学における「表象」論の位置づけを探った。主要な成果は下記の2点にわたる。 1、コナトゥス概念の形成史の解明。近世におけるコナトゥス概念には、(1)古典ギリシア文献の翻訳における用法、(2)スコラ自然学における用法が見られる。デカルトやホッブズは(2)の用法を批判的に継承し、自身の機械論の中でコナトゥス概念を再定義した。スピノザはその伝統を受けつつも、初期著作『短論文』において、コナトゥス概念と「神の摂理」の発想を結びつける。「神の活動をわれわれの側から見れば自己保存として現れる」という発想の下で、歴史的に結びつくことのなかった神の摂理の問題と個物の自己保存の問題が結びつくことになる。『エチカ』においてもこの発想は受け継がれるが、コナトゥス概念は存在論的に規定し直され、人間のあらゆる活動の説明原理として捉えられる。 2、感情論の位置づけの解明。上記のように捉えられたコナトゥス概念の上で、『エチカ』の感情論は展開される。そこでは、「活動」と「表象」が区別される。人間の活動それ自体は、人間の現実的本質であるコナトゥスによって説明される。コナトゥスは人間のあらゆる活動の説明原理であり、人間は決して自己のコナトゥスに反して活動することはない。しかし、表象を通して認識される自己以外の事物は、自己のコナトゥスに合致することもあれば合致しないこともある。自己の活動と表象との間での「ずれ」が活動力能の増減として表現され、受動的な喜びや悲しみとして捉えられる。活動と表象のずれという次元において感情論が成立する点に、『エチカ』の感情論の独自性が見られる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
研究計画では、「欲求(appetitus)」概念に注目しながら、初期著作と『エチカ』との比較を行うことで、「表象」論の発展の一端を明らかにする予定であったが、本年度の研究では以下の2点においてさらに進捗があった。 1、『エチカ』における感情論の位置づけの解明。感情論の位置づけの解明に関しては、次年度以降の着手を予定していたが、本年度の研究において、コナトゥス概念の形成史を解明する中で、「表象と活動のずれという次元において感情論が成立する」という根本的な発想を得た。これにより、従来のスピノザ研究で行われてきたように、心身関係の観点から『エチカ』の感情論を評価するのではなく、表象と活動のずれという観点から『エチカ』全体の中に感情論を位置づけ直して評価する見通しが得られた。また、スピノザ哲学の発展史において、初期著作から『エチカ』にかけて、感情論の位置づけが大きく変動していることから、両者の間には従来の研究で言われているよりも大きな破断があるという見通しも得られた。 2、同時代的な文脈における位置づけの解明。コナトゥス概念の形成史を解明するにあたって、近世スコラ自然学、ホッブズ、デカルトにおける用法と比較し、スピノザがコナトゥス概念に「神の摂理」に見られる発想を取り入れていることを解明した。また、盛期スコラから近世スコラまでを見ても、神の摂理と個物の自己保存を結びつける発想が見られないことも明らかにした。感情論の位置づけに関しては、近世オランダのスコラ哲学者であるヘーレボールトと比較しつつ、感情と理性の対立という伝統的な観点がスピノザ哲学の中で変容していることを示した。 上記より、現在までの研究は当初の計画以上に進展しているといえる。
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今後の研究の推進方策 |
本年度の研究成果を踏まえ、次年度は以下の2点を中心にして研究を進める。スピノザ哲学における「表象」論の意義を探るとともに、そこから自己知の問題を主題的に取り出して、その意義を探究する。 1、『エチカ』における「表象」論の哲学的意義の解明。『エチカ』における感情論の位置づけを踏まえた上で、次年度は改めて同時代の著作家たちの思考と比較しつつ、スピノザの「表象」論の哲学的意義を探る。特に重要と思われるのが、デカルト『情念論』との比較である。従来のスピノザ研究においても、『情念論』と『エチカ』の比較研究は多数存在するが、身体と精神がどのように相互作用をするのかという心身関係に焦点が当てられることが多かった。本年度の研究成果によれば、『エチカ』の感情論が成立するのは、表象と活動のずれという次元である。『エチカ』においては、『情念論』のように心身合一体としての人間という次元において感情論が探究されているわけではない。以上を踏まえて、心身関係とは異なる視角から、『情念論』と『エチカ』の比較を行う予定である。 2、『エチカ』における自己知の発展の解明。『エチカ』においては、自己の身体の変化を通して自己の感情を知ることが、神を知り神を愛することにつながる。「表象」論の観点から『エチカ』全体を見直した時、改めて浮かび上がるのがこの自己知の問題である。次年度は自己知の問題を主題的に取り出し、近世オランダのデカルト主義者たちの思考と比較しながら、『エチカ』における自己知の発展の意義を探る。具体的な比較の対象としては、ウィティキウスによるスピノザ反駁の書である『アンチ・スピノザ』、フーリンクスによる機会原因論をもとにした『エチカ』が挙げられる。
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