研究課題/領域番号 |
15J10008
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
織田 康孝 立命館大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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キーワード | 日本軍政期 / アシア・ラヤ / 朝日新聞社 / スカルノ / 宣伝班 / 「大東亜共栄圏」 |
研究実績の概要 |
本研究は、戦後インドネシアを視野に入れ、インドネシアにおける日本軍政の意味を再検討するものである。具体的には、当該地において軍政期および戦後に刊行されていた新聞に着目し、比較・検討作業行うことでインドネシアにおける日本軍政の意味を闡明化させていくことにある。以上の目的を達成するにあたって、今年度は、日本軍政期におけるメディアに着目し、主に、朝日新聞社のジャワ島進出の意味および現地語新聞「アシア・ラヤAsia raya」(中央紙)、(以下、「アシア・ラヤと表記する」)の紙面分析を中心に研究を遂行した。従来の研究においては重要視されていなかった朝日新聞社のジャワ島進出であったが、本研究において、以下の二点が明らかとなった。 1.軍政部と宣伝班の間には占領地に対して異なる構想を有しており、それぞれの構想を民衆に伝える「場」(新聞)をめぐる争いがあった 2.朝日新聞社のジャワ島進出は、軍政部と宣伝班両者の構想の一元化に一役買った また、「アシア・ラヤ」の紙面分析を行っていくと、紙面に登場する民族指導者層の変化がうかがえる。つまり、宣伝班時代の「アシア・ラヤ」においては、サムスディンSamoesdinが三亜運動の主導者として紙面に登場していたのであるが、軍・朝日新聞社時代の「アシア・ラヤ」には、スカルノSoekarnoをはじめとする後のインドネシア共和国建国の主要人物たちが紙面に登場するようになり、彼ら民族指導者たちは、紙面上で独立運動を展開していくこととなる。 なお、本成果は、第46回日本インドネシア学会大会「日本軍政下のジャワ島における朝日新聞社の役割」において報告を行っており、現在、投稿に向けて執筆中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
今年度は、当初の計画通り、現地語新聞「アシア・ラヤAsia raya」の紙面分析を行うことができた。さらに朝日新聞社のジャワ島進出の経緯および同社の進出によるジャワ島のメディア界の変化を明らかにすることができたので、(1)とした。
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今後の研究の推進方策 |
次年度は、一年目に遂行した研究を成果として論文化(すでに準備中)するとともに、「アシア・ラヤAsia raya」の比較検討素材としての日本語新聞ジャワ新聞に関して考察を進めていく。また、研究を進めていくうちに軍政当局内において占領地に対する構想の差異がみられたので、それがいかなるものであったのか、また、同構想がいかに構想を伝える「場」であった新聞に影響を及ぼしていったのか、という点に関して考察を深めていく。
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