本年度は、研究実施計画に基づき、以下の研究を進めた。
昨年度に引き続き、2016年8月、北宋の対西夏軍事前線地域であるオルドス地域において現地調査を行い、寧夏回族自治区・銀川~固原~陝西省・西安までのルートを南下しながら、各地の景観や軍事施設址の実見調査、各地の博物館などでの文物の調査を行った。 このような現地調査の成果も踏まえながら、本年度は北宋・陝西地域の軍事体制・統治体制の検討を進めた。その結果、11世紀半ばに北宋と西夏との間に勃発した軍事衝突(宋夏戦争)を契機として成立した「経略安撫使体制」は、①西夏軍の侵攻を前提とした防衛戦略に基づいていたこと、②西夏軍の動向を察知するために多様な情報収集・情報伝達手段が整備されたこと、③各地に点在する堡寨およびそこに駐屯する指揮官が防衛の中核となっていたこと、などを明らかにした上で、末端の軍事施設や指揮官から経略安撫使に至るまでの全体像を提示した。 次に、北宋期に陝西地域(オルドス地域)の果たした歴史的意義を考察した。当該地域は、農耕(民)と牧畜・遊牧(民)の混淆する地域であり、歴史上、軍事力の供給源としての役割も有していたことが近年注目されている。本研究では、北宋期において、対西夏前線地域であった陝西地域の軍事力が、蕃兵や弓箭手などの在地の集団から構成されており、その指揮官も陝西地域出身者が多くを占めているなど、当該地域が軍事力の供給源となっていたことを指摘した。さらに、陝西地域の軍事力は、北宋を取り巻く情勢の中で、対西夏のみならず対契丹、対ベトナムの軍事行動にも動員されていることから、陝西地域が北宋の軍事情勢において中核を担っていたことが明らかとなった。
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