古代の人々は多様な方法で神や霊的な事物との関わりを持とうとしたことが推されるが、その一つのあり方として、琴を弾いて神霊を招き寄せ舞踊するなど、いわゆる「芸能」的な所作を行う場合がある。そこで今年度は古代芸能の概要をまず確認した上でそこから神意識という問いに迫っていく方法を模索した。 今年度前半は、主に古代芸能の全体像を把握し研究の基礎を固めることに費やした。まず8月23日に早稲田大学に於いて開催された上代文学会夏季セミナー「芸能と歌謡」において、講師として「正倉院宝物と芸能」という題で発表し、発表内容を同題で成稿した。発表は、正倉院宝物のうち古代芸能に関わる宝物とその銘文とをほぼ網羅して提示したうえで、上代の各文献および正倉院宝物それぞれの特徴や傾向を見出していく道筋を例示した。次に『古代芸能事典』(仮題、上代文学会編)に所収予定の論文「万葉集と芸能」を成稿し、『万葉集』の歌そのものが芸能とどのような関係を持っているかを論じた。 ところで、観客の側にある者は主に「見る」ことと「聞く」ことによって、その芸能の持つ効果を感受する場合が多い。そこで今年度後半は、特に「見る」「聞く」という普遍的な動作の持つ意味について考察してゆくための、研究準備に着手した。現在、その関心の中心を特に「鳥」に据えることを予定している。例えば有名な山部赤人の吉野讃歌において、赤人が捉えた夜の川原における千鳥の鳴き声は、いにしえを懐古する象徴であるとか、土地の地霊の賛美の声であるとか、多様な解釈が提出されている。一方『古事記』神話には「鳥の遊び」という語が見え、「垂仁記」には言葉を得ることのできないホムチワケが鳥の音を聞いて「あぎとひ」をしたという伝承などが載る。そこでこれらを総合し、鳥を見ること、あるいは鳥の声を聞くことが、古代の人々の心性にとってどのような意味を持っていたのか、考察を進めている。
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