研究課題/領域番号 |
15K00198
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
中谷 裕教 東京大学, 大学院総合文化研究科, 助教 (30333868)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 小脳 / 直観 / 思考 / 認知 / 熟練 / 将棋 / fMRI |
研究実績の概要 |
将棋の熟練者である棋士は、複雑な将棋の局面を素早く理解し、その先の局面展開を正確に分析する思考能力に優れている。熟練者の認知能力は学習や経験により獲得した専門知識に基づくため、知識を用いて情報を効率的に処理する神経メカニズムが存在すると思われる。本研究課題申請時は、執行機能を有する前頭部が効率的な情報処理の責任部位であると仮定した。 東京大学および早稲田大学の将棋部に被験者としての実験協力を依頼し、将棋の局面理解と思考に関わる神経メカニズムの検証実験を、磁気共鳴画像装置を用いて行なった。 局面理解に関する実験は、駒配置の記憶実験課題を用いて行なった。チェスを対象にした心理実験によると、理解可能な局面は短時間で記憶できる。将棋における序盤、終盤、デタラメに並び替えた局面を提示したところ、将棋において意味のある序盤と終盤の局面に反応したのは帯状回後部と小脳であった。統制条件として、普段将棋を指さない東京大学の学生を対象にして同様の記憶実験を行なったところ、序盤と終盤に特異的に反応する脳部位は観察されなかった。 思考に関する実験は、将棋パズルである詰将棋を用いて行なった。一問につき三十秒の制限時間で解かせたところ、制限時間内に素早く問題を解けた場合にのみ小脳に活動が観察された。一方、楔前部など大脳皮質のほとんどの部位では素早い回答に特異的に対応した活動は観察されなかった。 熟練者の優れた認知機能の責任部位として、本研究課題申請時は執行機能を有する前頭部を仮定していたが、実験結果は仮定とは大きく異なり、小脳の関与が示唆されるものとなった。小脳は運動の学習と制御の中枢として知られている。もし小脳が運動だけでなく認知機能の熟練にも関わっているなら、熟練した認知機能の神経メカニズムを理解する上で新しい知見であると考える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究課題の進捗は当初予定より遅れており、補助事業期間の延長を行なった。研究が遅れている主な理由は、実験結果が当初の仮説とは大きく異なり、結果の検証に予定以上の時間を費やしてしまったからである。 本研究では、将棋の熟練者の優れた認知機能のメカニズムとして前頭部における効率的な情報処理を仮定していた。この仮説は、将棋棋士を対象にした脳波計測実験の結果(Nakatani and Yamaguchi, Sci Rep, 2014)に基づいたものであり、責任部位の同定とその部位の情報処理特性の詳細を理解するために、本実験では空間分解能の優れた磁気共鳴画像装置を用いた脳活動計測実験を行なった。 当初仮定とは異なり、小脳が熟練者の優れた認知機能の責任部位でることを示唆する結果が得られた。小脳は運動の学習と制御の中枢として知られている。また言語などの認知機能にも関与することについては報告があるが、認知機能のどのような側面に小脳が関与しているかについては未知のままである。もし、小脳が運動だけでなく認知機能の熟練にも関与しているのであれば、脳機能を理解する上で重要な知見になるので、時間をかけて実験結果の検証を行なった。 なお、脳波計測と磁気共鳴画像装置を用いた脳活動計測では、脳活動の異なる側面を観察しているため、測定結果は必ずしも一致しない。そのため、本実験で得られた結果は前頭部の関与を否定するものではない。詳細の理解のためには、さらなる検証実験が必要である。
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今後の研究の推進方策 |
本研究により得られた小脳に関する予想外の結果は、熟練者の認知機能の理解に新たな視点を与える。小脳における情報処理の特徴は無意識的で素早いことであり、熟練者の直観的な認知判断の特性を説明する。そのため、本研究の今後の推進方策として、小脳が熟練した認知機能に関与するメカニズムの解明を考えている。具体的には小脳における運動学習のメカニズムを参考にして、認知機能熟練の仮説を立て、それを脳機能計測実験により検証することなどが考えられる。 例えば、運動学習では最初、練習を通して制御対象である手足などのメンタルモデルが大脳皮質内に形成される。メンタルモデルができると当初はそれを使って運動制御を行うが、ある段階で小脳がメンタルモデルを学習し、小脳内に内部モデルが獲得される。ここで重要なことは、小脳は運動機能だけでなく認知機能も学習できる可能性があることである。解剖学的に見ると、小脳は金太郎飴のような構造をしていて、どの部位にも同じ神経回路網が存在する。運動機能を担う小脳の内側部は大脳皮質の運動関連領域と結合しているため、運動機能に関する内部モデルが形成される。もし、小脳の他の部位が大脳皮質の認知機能関連領域と結合していれば、小脳が認知機能に関する内部モデルを獲得すると予想される。そのため、小脳と大脳の神経ネットワーク構造の解明を行うことは、本研究で得られた知見を検証し、かつ発展させるために必要なステップとなる。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究課題申請時の仮説とは異なる実験結果が得られたが、実験結果は熟練した認知機能の神経メカニズムを理解する上で重要でかつ新規の知見であるため、結果の検証のためのデータ解析に予定以上の時間を費やした。そのため、実験回数は当初予定より少なく、次年度使用額が生じた。 結果の検証のためにはデータ解析だけではなく、新たに実験を行う必要があるので、その際に次年度使用額を利用する。
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