本研究では、1950年代の日本において、放射線の矛盾した側面(リスクとべネフィット)を遺伝学者がどのような形で社会に発信していたのか、また、これらは国際的な政治社会的背景や科学的動向とどのような関係にあったのかを明らかにすることを目的とした。本研究を通して、日本の遺伝学者は、1956年末頃まで放射線の遺伝的影響に関して公の場でほとんど発言していないことが明らかになった。これは、ビキニ被災事件後のアメリカの遺伝学者の反応とは大きく異なる。この日本の遺伝学者の沈黙の背景には、冷戦期の社会的背景や原子力の平和利用など複雑な要因があり、現在、これらを総合的に分析中である。
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