本研究は、20世紀を通して設立された欧米・日本・アジアにおける理論物理学研究所(以下、理論研)を歴史的に調査・分析し、各国の社会発展・国際展開の一つの表象物として理論研をとらえながら、各理論研の設立の時代背景、その設立が国内外および他分野の研究制度に与えた影響を明らかにするものである。 令和元年度では、第一に前年度に引き続き、京都大学基礎物理学研究所(以下、京大基研)設立の主要因となった湯川秀樹の素粒子論研究への分析に主軸をおき、湯川の物理研究の原点となった1930年前後の研究状況について分析した。ハイゼンベルクとパウリの1929年の共著論文を当時の「最大の関心事」としていた湯川は、ハイゼンベルクとディラックの1929年9月の京都訪問でハイゼンベルクの講演に参加している。1929年3月に京大を卒業した湯川はディラックの相対論的電子論に関する卒業論文を著し、1934年4月には日本数学物理学会で「相対性量子力学に於ける確率振幅について」を報告し、その後、独自の場の理論へ発展していくなかで、一連の研究の重要な原点に、ハイゼンベルクの共著論文、ハイゼンベルクの京都訪問が関わることを明らかにした。 第二に、広島の理論研究で活躍した三村剛昻にあらためて着目し、彼らの1930年代の研究活動を分析した。三村は1932年の岩付寅之助との共著論文で、相対論的電子論に因むディラック方程式の拡張を試みた。それを起点として彼らは広島で「波動幾何学」の研究グループを形成し、それらの研究活動は1944年の広島文理科大学の理論研の設立につながる。さらに、広島の理論研は、京大基研と1990年に統合され、現在の京大基研となっていることから、1920年代末のディラックやハイゼンベルクらの欧州の研究動向に対する1930年代の湯川や三村たちの学術的反応が、京大基研の学問的背景となったことを見て取ることができる。
|