研究課題/領域番号 |
15K01129
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研究機関 | 国立保健医療科学院 |
研究代表者 |
逢見 憲一 国立保健医療科学院, その他部局等, 主任研究官 (70415470)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | スペインかぜ / 新型コロナウイルスパンデミック / 流行性感冒 / 内務省衛生局 / 明治19年の頓挫 / 超過死亡 / マキューン・テーゼ / 平均寿命 |
研究実績の概要 |
令和元年度は,人口動態統計毎月概数,大日本私立衛生會雜誌,日本公衆保健協会雑誌,公衆衛生,等の資料の発掘と収集,分析を行った。 また,上記発掘資料を用いて,わが国の平均寿命延長に医療・公衆衛生の果たした役割を定量的に検討した学術論文「わが国の平均寿命延長の年齢構造と医療・公衆衛生の役割―第4回から第22回生命表より―」を執筆投稿し,受理掲載された。また,上記発掘資料を用いて,内務省保健衛生調査会設置から日中戦争・第二次大戦下での公衆衛生活動等について検討した。さらに,パンデミック対策の一助とすべく,わが国の“スペインかぜ”を含むインフルエンザパンデミックによる健康被害を定量的に把握し,あわせてわが国における公衆衛生行政の置かれていた状況を検討した。 令和2年度は,新型コロナウイルスパンデミック対策の一助とすべく,上記大日本私立衛生會雜誌の1918(大正7)年から1920(大正9)年の “スペインかぜ”に関する記事・論文を検討し,(1) スペインかぜ流行期の対策の大枠は現代に劣らないものであったこと,(2) ただし,「明治19年の蹉跌」により,地方の衛生行政は警察の所管となって取締行政の性格が強くなり,住民との乖離が大きくなっていたこと,(3) また,スペインかぜの当時,公衆衛生を取り巻く状況は必ずしも恵まれたものではなかったこと,などの仮説を検討する。 また,第二次大戦前に京城帝国大学教授として生命表研究に携わった水島治夫を中心とした旧植民地の生命表や乳児死亡に関する一連の研究を概観し,第二次大戦前の植民地医学・衛生学の到達点を確認する。さらに,近年の年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造から,指標としての有用性や活用方法を検討することを目的とし,2000年から2015年の全国について,死因別年齢調整死亡率を算出し分析する。 なお適宜,研究順序やテーマの入れ替え・変更を行う予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
【資料の発掘と収集,基礎的分析】大日本私立衛生會雜誌 1883(明治16)年~1923(大正12)年。日本公衆保健協会雑誌 1925(大正14)年~1946(昭和21)年。公衆衛生 1923(大正12)年~1948(昭和23)年。 【わが国の平均寿命延長の年齢・死因構造と医療・公衆衛生の役割】わが国の平均寿命延長に医療・公衆衛生の果たした役割を定量的に検討した学術論文を執筆し,「わが国の平均寿命延長の年齢構造と医療・公衆衛生の役割―第4回から第22回生命表より―」の表題にて日本健康学会誌に投稿し,受理,同誌2020年第86巻第2号に掲載された。【2000年~2015年のわが国における年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造】近年の年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造から,指標としての有用性や活用方法を検討することを目的とし,2000年から2015年の全国について,死因別年齢調整死亡率を算出し分析した。 【戦前・戦中・戦後のわが国の公衆衛生の発展】上記発掘資料「大日本私立衛生會雜誌」「日本公衆保健協会雑誌」「公衆衛生」を用いて,1916(大正5)年内務省保健衛生調査会設置から(旧)保健所法制定,日中戦争・第二次大戦下での公衆衛生活動から(新)保健所法へ至る,わが国の公衆衛生の発展について再検討した。【1899~1975年のわが国のインフルエンザ超過死亡:“スペインかぜ”と公衆衛生】2020(令和2)年初めより世界中を席巻した新型コロナウイルスのパンデミック対策の一助とすべく,わが国の1899~1975年のいわゆる“スペインかぜ”を含むインフルエンザのパンデミック期および非パンデミック期における健康被害を超過死亡から定量的に把握し,あわせて,わが国における公衆衛生行政の置かれていた状況を検討した。
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今後の研究の推進方策 |
【資料の分析】大日本私立衛生會雜誌 1883(明治16)年~1923(大正12)年。日本公衆保健協会雑誌 1925(大正14)年~1946(昭和21)年。公衆衛生 1923(大正12)年~1948(昭和23)年。 【1899~1975年のわが国のインフルエンザ超過死亡:“スペインかぜ”と公衆衛生】2020(令和2)年初めより世界中を席巻した新型コロナウイルスのパンデミック対策の一助とすべく,わが国の1899~1975年のいわゆる“スペインかぜ”を含むインフルエンザによる健康被害を超過死亡から定量的に把握し,あわせて,わが国における公衆衛生行政の置かれていた状況を検討する。また,上記大日本私立衛生會雜誌の1918(大正7)年から1920(大正9)年の “スペインかぜ”に関する記事・論文を検討し,(1) スペインかぜ流行期の対策の大枠は現代に劣らないものであったこと,(2) ただし,「明治19年の頓挫」により,地方の衛生行政は警察の所管となって取締行政の性格が強くなり,住民との乖離が大きくなっていたこと,(3) また,スペインかぜの当時,公衆衛生を取り巻く状況は必ずしも恵まれたものではなかったこと,などの仮説を検討する。 【水島治夫らの植民地生命表研究にみる第二次世界大戦前戦中の医学研究再考】第二次大戦前に京城帝国大学教授として生命表研究に携わった水島治夫を中心とした旧植民地の生命表や乳児死亡に関する一連の研究を概観し,第二次大戦前の植民地医学・衛生学の到達点を確認する。 【2000年~2015年のわが国における年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造】近年の年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造から,指標としての有用性や活用方法を検討することを目的とし,2000年から2015年の全国について,死因別年齢調整死亡率を算出し分析する。 なお適宜,研究順序やテーマの入れ替え・変更を行う予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究を進めていく過程で、2000年以降のわが国における年齢別死因別死亡構造とそれ以前の19~20世紀の疾病・死亡構造との比較検討、また、それらを踏まえた現代医療・公衆衛生の役割の研究など、新たな研究課題が明らかになった。これらの課題の検討を今一歩進め、本研究の到達点として、また、今後の研究の構築の出発点として、新知見をまとめる必要が出てきたため、補助事業期間延長を申請する
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