最終年度はこれまでの分析で得られたデータを整理し、古墳時代から中世にかけての馬の生産と利用方法について検討を加えた。また、青森県内の古代から中世の遺跡出土馬についても追加分析をおこなった。 検討の結果、以下の点で遺跡間に差異があることが明らかになった。第一に年齢構成の差である。青森県域ではこれまでに明らかになっていた中世城館遺跡に加え、古代においても幼齢個体の割合が高い傾向が明らかになった。これは病気などの理由により幼齢時に死亡する割合の高さを示しており、生産地の特徴であると考えられる。次に、古病理学的検討の結果も遺跡間で差が見られた。具体的には乗用の証拠である下顎臼歯のハミ痕の認定率と、中手足骨のストレスマーカーの発達度合いである。中世の3地域では、鎌倉の中世馬がもっともハミ痕で、中手足骨のストレスマーカーは軽微であった。逆に、茨城県の製塩遺跡出土馬ではハミ痕は少なく、ストレスマーカーは顕著であった。青森県の中世城館は両者の中間的な様相を示した。以上は鎌倉が軍馬=乗用を主体としており、製塩遺跡が駄馬=曳馬を主体としていたことを示唆する。青森中世城館の様相は用途の異なる馬が混在していたか、同じ馬が異なる使われ方をされていたことを示唆する。体高の面でも鎌倉、青森、茨城の順でより小型となっており、軍用・乗用と荷駄用で適した大きさに差があったと推測される。以上の遺跡は遺跡コンテクストから用途が比較的明確な例であり、今後他遺跡出土馬の用途を古病理から検討する際の基準となり得るデータが得られた。
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