スポーツ界の潮流が国際貢献の領域へ大きく転回しようとする中、アプリオリとして当然の如く「良いこと」と思われていた援助の構図とその行為について焦点化しながら、スポーツ援助には具体的にどのような課題が伏在し、同時にどのような可能性があるのかについて検討した。日本のスポーツによる国際貢献活動の現場では、精神的・身体的健康の効果や人と人との交流について語られることはあっても、開発援助の問題としてスポーツ援助を捉えるという視点は大きく見過ごされ、「スポーツ援助の先に何が起こっているのか?」という論点に関心を向けられることが少ないという問題性についても指摘した。同時に、開発を推進する人々とそれを受容する人々の齟齬に焦点を当てた研究が欠落する現状において、先進国の人々の描く善意の情感にひかれて、スポーツによる国際貢献活動を単なる理念的なものとして終わらせるのではなく、より現実的なスポーツ援助の実相を捉えていく重要性についても、日本側が実施した寄付行為の事例から明らかにした。 また、Sport for Tomorrowという時流の追い風を受けて、大会運営の支援や競技施設の整備が行われた国が増加する中、日本の運動会が「UNDOKAI」となって アフリカやアジアの国々へ輸出され始めた動向についても整理し、日本型体育活動が「あっさり」輸出されていく実態の問題性を浮き彫りにした。日本の体育や運動会が、かつては「国家の発展のあり方」と基本的に相補的な関係に置かれていた歴史的経緯を跡づけながら、それらが「国家の発展のあり方」や「国家としての教育のあり方」という核心的な問いと分かちがたく結びついていたという歴史的事実は、東京五輪へ向けたスポーツによる国際貢献事業のストラテジーを検討する際の重要な視点を示せた点において、一定の社会的意義があるものと考えられる。
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