研究課題/領域番号 |
15K01870
|
研究機関 | 静岡大学 |
研究代表者 |
金 明美 静岡大学, 情報学部, 准教授 (50422738)
|
研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
|
キーワード | 東シナ海域 / 基層文化 / 生活文化 / 日韓 / 境界領域 |
研究実績の概要 |
2016年度の実績として、大きく以下の二点が挙げられる。まず一点目は、共編著の図書として2015年度に出版した済州島のOムラのコミュニティ形成と生活文化に関する諸論文を韓国語に翻訳し、本全体の校正等を改めて行い、韓国で出版した(研究業績参照)。二点目は、2016年度の計画として挙げていた4つの調査地のうちの2つの調査地、すなわち済州島の尾Oムラから海女などで出稼ぎに行った人々が移住・定住していった朝鮮半島の南東部にある蔚山(広域市)と釜山(広域市)でフィールドワークを行った。 二点目については、生活文化の観点から、済州島からの移住者たちの生活戦略に注目しつつ、定住先である蔚山市東区及び釜山市影島区内の旧ムラについての文献調査及びフィールドワークを行った。特に、フィールドワークにおいては、済州島のOムラでの調査から見出されたムラの共同体(コミュニティ)の形成・維持に重要だと考えられる、①同年齢集団、②キンドレッド(父方・母方の親戚)、③ムラのお堂、④女性の役割に注目してデータを収集した。 その結果、何れの調査でも、済州島出身者が、Oムラで生活していたとき同様、移住先でも①~④に関係する諸縁を利用して、済州島のムラの人間関係やネットワークを作り、現地での生活を維持してきた一方で、移住先の旧ムラにも①~④と同様或は相当するコミュニティ形成の仕組みがあり、それが一世代の人々の現地適応や二世代以降が「現地人」となる過程に少なからず関係していることが見出された。また、蔚山市東区においては、③のムラのお堂の在り方等に関して、植民地時代の日本人のコミュニティ形成(岡山県の漁村の集団移住先となっていた)との関連も一部見出された。これは、東シナ海域の基層文化を再考する上では大変興味深いことなので、今後、これについての調査も行いたいと考える。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2016年度の計画として挙げていた4つの調査地のうちの2つの調査地(上記)のフィールドワークは行えたが、残りの莞島及び突山島でのフィールドワークは行うことができなかったためである。この2つの調査予定地は、現在、済州島Oムラに在住する、これらの地域出身の人々、つまり今年度調査を行えた二つの調査地(蔚山と釜山)とは逆に、朝鮮半島方面から済州島Oムラへ移住してきた人々の出身地でもある。これらは地理的に朝鮮半島南東部に位置する蔚山・釜山とは反対側の南西部である全羅南道に位置しているため、移動距離の面から、また、2016年8月及び3月に実施した二度のフィールドワーク期間中は蔚山・釜山の調査でほぼ時間を取られてしまったことなどから、訪れることができなかった。 但し、調査データの確認等のために済州島のOムラを訪れた際、ムラの人から莞島在住のOムラ出身者も在住していることを聞き、その連絡先を教えていただいた上で、電話で来年度訪問するためのアポイントメントを取ることができた。よって、今回調査ができなかった分については、次年度に挽回していきたい。
|
今後の研究の推進方策 |
次年度(2017年度)は、大きく以下の二本立てで研究を推進していく予定である。 まず、本年度調査ができなかった莞島と突山島でフィールドワークを行う。また本年度に調査した蔚山と釜山及びそれらの関連地(岡山県等)での調査も継続する。これらの調査データを済州島のOムラで行った調査データに照らし合わせて、ムラの「共同体」の在り方を再検討することで、本研究の目的である生活文化の面から東シナ海域に共通する基盤の探求を試みたい。 次に、当初の予定である日本国内の調査を行う。調査対象地は五島列島、平戸島、対馬島、壱岐島である。調査項目は、上記した済州島Oムラでの調査で見出した、ムラの共同体の形成・維持に重要だと考えられる4項目を基本とする。これらの調査予定地の中で、壱岐島と平戸島については時間的余裕があれば訪れることとし、その場合は平戸島を優先する。なぜなら、壱岐島についてはすでに4つのムラで実施したフィールドワークに基づくデータを上記の観点から整理することができ、また、平戸島については短期であるが、一度訪問した際に収集したデータがあるからである。また、五島列島、対馬島をはじめ、以上の日本国内の調査と並行して、これらの地域の先行研究の整理も進める。
|