英領マラヤにおける婚姻法制とオランダ領東インドにおける婚姻法制を比較し,それぞれの共通点および相違点から英蘭の植民地統治の特徴について明らかにすることを目的として研究を実施した。 オランダ領東インドにおける婚姻法制は,オランダ本国の民法典にもとづく婚姻法制が1838年に植民地にも導入されインドネシアの独立まで効力を有すことになった。本国における婚姻法制は,フランスからの強い影響下に民法典の導入がなされた結果として教会による婚姻は最終的な効力を失い,民事婚へと世俗化していくのだが,植民地における婚姻法制もこの本国において導入された婚姻の世俗的性格を踏襲していたことが調査研究の結果,明らかとなった。加えて現地住民の婚姻に対しては,原則その慣習に基づく婚姻を容認し,オランダ人に対する民法典は適用しなかった。 英領マラヤでは,婚姻法制は宗教をベースに整えられていったようである。キリスト教,イスラム教という各宗教の婚姻慣習を制度化していく過程が研究により明らかとなった。そもそも,英国本国における婚姻法制が,大陸諸国における婚姻規定のように世俗化していなかったことが背景にあるようである。しかし,挙式の実践は各宗教の慣行に委ねる一方,異なる宗教に基づく婚姻に対し婚姻登録を制度化していくことも並行して行われたようである。 英領マラヤと蘭領東インドにおける婚姻法制を比較検討すると,オランダが植民地に対して世俗的な婚姻法制を導入したのに対して,英国は宗教婚を前提としつつも婚姻登録を制度化することで植民地における婚姻法制を制度化した点に違いがあらわれているといえる。婚姻の登録は,オランダ領東インドにおいても,婚姻が世俗化されていたことから義務付けられていた。しかし,婚姻の世俗的性格からみるならば,蘭印における婚姻法制が英領マラヤの婚姻法制よりも一貫して世俗的性格に基づいていたことがわかった。
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